三島由紀夫の自然理解

 三島由紀夫の取材旅行にドナルド・キーンが同行したときのエピソードが有名だ。
 三島が松の木を指差して居合わせた植木屋に「あれは何の木か」と聞いたので植木屋は「雌松です」と答えた。それに対して三島が「雌松ばかりで雄松がないのに、どうして子松ができるの」と聞いたという。この雌松は赤松を指し、雄松が黒松を指す。このエピソードから三島は自然を知らないということになった。
 三島が松を知らなかったかどうかは分からないが、月の出について詳しくはなかったことは、短編「孔雀」からよく分かる。

 彼は待った。夜光時計を見て、夜半を夙(と)うにすぎたのを知った。ひろい遊園地には音が全く絶え、目の前には豆汽車の線路が星あかりに光っていた。
 空には雲がところどころにあいまいに凝(こご)っていたが、風はなく、山の端(は)がおぼめいてきて、赤らんだ満月が昇った。月はのぼるにつれて赤みを失い、光を強め、孔雀小舎の影はあざやかに延びた。

 三島はここで「夜半を夙うにすぎて(中略)山の端がおぼめいてきて、赤らんだ満月が昇った。」と書いている。満月(十五夜)は日没後しばらくして昇るのだ。それから徐々に遅くなる。十七夜以降を立待月、居待月、寝待月、更待月などと呼ぶ(Wikipedia)ように、はじめ立って月の出を待っていたのが、だんだん遅くなるので座って待ち、寝て待つようになる。だから夜半をとうに過ぎて満月が昇ることはない。
 そんな些事に拘泥しなくてもいいじゃないかとの意見があるかもしれないが、高校時代クラブで天文部に入っていた私としてはここは曲げられないのだ。