山本弘

野坂昭如『新編「終戦日記」を読む』を読む

野坂昭如『新編「終戦日記」を読む』(中公文庫)を読む。野坂昭如は昭和20年6月5日に神戸の家を空襲で焼け出され、8月15日は疎開していた福井県の農村で玉音放送を聞いた。 それで毎年6月5日と8月15日、空を見上げる。そして戦後、あの時大人たちはど…

ギャラリー檜Cで山本弘遺作展が始まった

東京京橋のギャラリー檜Cで山本弘遺作展が始まった(10月18日まで)。展示風景を紹介する。 「自画像」(左)と「河童A」 「薔薇」(左)と「赤いリボン」 「水神」(左)と「川」 「風越山」(左)と「眠る人」(中)と「河童B」 (題不詳)と「青い鳥」 「…

ギャラリー檜Cの山本弘展の「老人」

「老人」 明日月曜日から始まる山本弘遺作展の設営が、昨日無事終わった。 ここでは、「老人」(20号)を紹介する。 かつて東邦画廊の個展では「無題」として展示された。私が「老人」だと主張してもかたくなに「無題」を変えなかった。よく見れば大きな老人…

霧を描いた山本弘「種畜場」

「種畜場」 来週月曜日10月13日から東京京橋のギャラリー檜Cで山本弘展が始まる。これは私の企画によるもので、今回の目玉は「種畜場」(30号)という作品である。さて何が描かれているのか。 山本はこれを描き上げたとき、家族に説明して、早朝いつものよう…

山本弘、その略歴と評価

来週から東京京橋のギャラリー檜Cで山本弘展が始まる。会場に置くための資料として「山本弘、その略歴と評価」を書いた。それをここに紹介する。 山本弘、その略歴と評価 山本弘は昭和5年(1930年)長野県飯田市近郊の村で生まれた。昭和20年、15歳のとき予…

山本弘の作品解説(118)「赤石林道」

山本弘「赤石林道」、油彩、F4号(24.2cm×33.3cm) 1967年、山本弘が37歳の時の作品。この年、山本は友人たちとできたばかりの赤石林道へスケッチ旅行に行った。赤石林道は喬木村から上村へ抜ける林道。曲がりくねった山道の連続だ。 山を削って作られた道…

山本弘遺作展予告

久しぶりに山本弘遺作展を開きます。 会期は来月10月13日から1週間、会場は東京京橋のギャラリー檜Cです。 また詳しくお知らせします。

東御市梅野記念絵画館の新収蔵品展に山本弘の作品が展示されている

長野県東御市梅野記念絵画館の「館所蔵品精選展 令和6年度新規収蔵品を含めて」に、白鳥映雪、吉岡憲らとともに山本弘の作品が2点展示されている(6月8日まで)。 収蔵された山本弘作品は、「流木」と「銀杏」、どちら山本弘の代表作で、F20号(72.7cm x…

山種美術館の「桜さくらSAKURA2025」を見る

東京広尾の山種美術館で「桜さくらSAKURA 2025」が開かれている(5月11日まで)。桜をテーマにした日本画を並べている。何しろ天下の山種美術館だ。大家の名作がそろっている。速水御舟の「夜桜」、奥田元宗の「奥入瀬(春)」、松岡映丘の「春光春衣」、小…

山本弘の作品解説(117)「童」

山本弘「童(仮題)」、油彩、F4号(24.2cm×33.3cm) 1977年制作、山本弘48歳のときの作品。1996年の東邦画廊での遺作展で展示販売された。薄塗りのバックに幼い子どもが描かれている。左側に持っているのは虫取り網だろうか。網が白い絵具の厚塗りで描かれ…

恩地日出夫監督と山本弘

昭和43(1968)年、私は山本弘と飯田市の銀座通りを散歩していた。山本弘は画家でアルコール中毒だった。酒を飲まないと外出しなかったから、この時も酔っていたのだろう。妻の愛子さんも一緒だったかもしれない。銀座通りには常盤劇場という映画館があった…

坂口安吾『堕落論』を読む,、そして山本弘の戦争体験

坂口安吾『堕落論』(新潮文庫)を読む。56~57年ぶりの再読。そんなことを覚えているのは、山本弘に初めて会った時、『堕落論』を読めと言われたからだ。その時私は19歳で、『堕落論』はすでに読んでいた。『堕落論』は戦後すぐの昭和21年に坂口安吾が出版…

中国新聞SELECTに紹介された山本弘展

中国新聞SELECTに紹介された、昨年秋の東御市立梅野記念絵画館の特別展「All is vanity. 虚無と孤独の画家―山本弘の芸術」の展評がとても良かった(2023年11月14日)。筆者は中国新聞社の道面雅量氏。 その後半部分を引用する。 展示は油彩65点と、確かなデ…

東御市梅野記念絵画館の山本弘展を見る

長野県東御市の梅野記念絵画館の山本弘展も明日までとなった。2か月半もあったのに早いものだった。昨日3回目の訪問をした。 「暗い海」と「毛布売り」 「過疎の村」と「灰色の家」 「過疎の村」は真夏に無人になった廃村を訪ねた記録。レモンイエローが灼…

東御市梅野記念絵画館の山本弘展を再訪する

長野県東御市の梅野記念絵画館の山本弘展を再訪した。本当はもっと早く再訪するつもりだったが、9月にコロナにかかり重症化して入院し、退院後もしばらくは自宅静養していたので結局今日になった。 改めて展示を見て、山本弘の代表作は、「種畜場」、「流木…

大竹永明館長による山本弘展の見どころ

東御市の梅野記念絵画館で開かれている「All is vanity. 虚無と孤独の画家――山本弘の芸術」について、同館館長で美術研究家の大竹永明さんが中日新聞に寄稿した。 信州・飯田で生涯の大半を過ごした山本弘は、多感な10代を軍国主義から民主主義へ急激に移行…

梅野記念絵画館の山本弘展が始まった

長野県東御市の梅野記念絵画館で、9日から山本弘展「All is vanity. 虚無と孤独の画家――山本弘の芸術」が始まった(11月26日まで)。 主な展示作品を紹介する。 「種畜場」 「種畜場」 天竜川の川霧の深い早朝、種畜場(家畜の交尾施設)に乳牛がいて、霧の…

明日から梅野記念絵画館の山本弘展が始まる

「流木」 「銀杏」 「川」 「箱」 長野県東御市の梅野記念絵画館で、明日から山本弘展「All is vanity. 虚無と孤独の画家――山本弘の芸術」が始まる(11月26日まで)。 開催に先立って、展覧会の図録が届いた。A4判128ページで、84点の図版が80ページに紹介…

1週間後に迫った山本弘展

長野県の東御市梅野記念絵画館の「All is vanity. 虚無と孤独の画家――山本弘の芸術」の開催まで1週間となった。美術館のホームページにその詳細が掲載されているので、それを紹介する。 信州飯田で生涯の大半を過ごし、51歳で自死した異色画家、山本弘を紹…

飯田市美術博物館の「コレクション展示 洋画家たちの小部屋―心の深遠―」を見る

長野県の飯田市美術博物館で「コレクション展示 洋画家たちの小部屋―心の深遠―」が開かれている(10月1日まで)。地元出身の画家が取り上げられている。わが山本弘とその先輩関龍夫、それに原鼎の3人だ。3人で合わせて29点が展示されている。 ここでは山…

梅野記念絵画館の山本弘展のちらし

東御市梅野記念絵画館での山本弘展「All is vanity. 虚無と孤独の画家――山本弘の芸術」のちらしが届いた。会期は2023年9月9日(土)―11月26日(日)のほぼ2カ月半という長期間。そのちらしから、 信州飯田で生涯の大半を過ごし、51歳で自死した異色画家、…

梅野記念絵画館で山本弘展が開かれる

長野県の東御市梅野記念絵画館で山本弘展「All is vanity. 虚無と孤独の画家-山本弘の芸術」が開かれることになった。期間は9月9日から11月26日までのほぼ2カ月半。美術館の紹介文を引く。 山本弘は、青春期を戦中、戦後混乱期に過ごし、価値観が逆転し…

山本弘の作品解説(116)「一本の道」

山本弘「一本の道」(仮題)、油彩、F10号(天地53.0cm×左右45.5cm) 1976年の飯田市勤労者福祉センターでの個展で発表され、1994年京橋の東邦画廊での第1回遺作展に展示された。東邦画廊では「傘」と題して展示され、以前ここでも「傘」として紹介した。今…

山本弘の作品解説(115)「河原道」

山本弘「河原道」、油彩、F10号(天地53.0cm×左右45.7cm) 1976年制作。河原の真ん中に1本の道があり、その先に遠く山がそびえている。道は真っ直ぐ山に向かって伸びており、道の途中に1頭の黒い犬が立っている。山本はしばしば三叉路やT字路を描いているが…

どんな画家にも媚びがある

山本弘の小品を並べてみた。いずれも6号という小さな作品だが、こうしてみると山本の別の顔が見えてくる。これらはいずれも晩年の作品で、小品でありながら取り付く島もないような印象を与える。特に最後となった1978年の個展では、奥さんに今回は絵は売らな…

軍国少年の戦後

山本弘は終戦時15歳だった。軍国少年だった山本が終戦をどう感じたのか正確には分からない。ここに勝目梓の『小説家』(講談社文庫)という自伝があり、勝目が終戦時の体験を語っている。 昭和20年(1945年)、日本の敗戦の年にこの世に生を受けたC女は、民…

山本弘の作品解説(114)「種畜場」

山本弘「種畜場」、油彩、F30号(天地72.7cm×左右91.0cm) 1978年制作。画家が住んでいた長野県上郷町(現飯田市)に、家畜の種付け場があった。大型動物の受精場だ。牛や山羊などの交配をしていた。そこを描いたものだという。 飯田市近郊は天竜川の流域に…

山本弘の作品解説(113)「なだれ」

山本弘「なだれ」、油彩、F12号(天地60.6cm×左右50.0cm) 1978年制作。赤いなだれを描いている。なだれは雪崩と書いて雪の崩れだが、斜面を崩れ落ちること、崩壊することもなだれだ。画面の右下に小屋のような小さな家がある。切迫感のある赤色で描かれたな…

山本弘の作品解説(112)「ネハン(臨終)」

山本弘「ネハン(臨終)」、油彩、F10号(天地45.5cm×左右53.0cm) 1978年制作、最晩年の作品。山本はこの3年後に自死した。キャンバスの裏に山本の手で「ネハン」と書かれ、その年に開かれた個展では「臨終」と題されて発表された。ネハン=涅槃は釈迦が高…

山本弘のデッサン2点

『山本弘遺作画集』に山本のデッサンが掲載されている。鳥を描いたものは1966年、自画像は1970年の作で、自画像は40歳の時のものということになる。 1966年は愛子と結婚した年、1970年の翌年長女の湘が生まれている。 鳥 自画像