山本弘
東御市の梅野記念絵画館で開かれている「All is vanity. 虚無と孤独の画家――山本弘の芸術」について、同館館長で美術研究家の大竹永明さんが中日新聞に寄稿した。 信州・飯田で生涯の大半を過ごした山本弘は、多感な10代を軍国主義から民主主義へ急激に移行…
長野県東御市の梅野記念絵画館で、9日から山本弘展「All is vanity. 虚無と孤独の画家――山本弘の芸術」が始まった(11月26日まで)。 主な展示作品を紹介する。 「種畜場」 「種畜場」 天竜川の川霧の深い早朝、種畜場(家畜の交尾施設)に乳牛がいて、霧の…
「流木」 「銀杏」 「川」 「箱」 長野県東御市の梅野記念絵画館で、明日から山本弘展「All is vanity. 虚無と孤独の画家――山本弘の芸術」が始まる(11月26日まで)。 開催に先立って、展覧会の図録が届いた。A4判128ページで、84点の図版が80ページに紹介…
長野県の東御市梅野記念絵画館の「All is vanity. 虚無と孤独の画家――山本弘の芸術」の開催まで1週間となった。美術館のホームページにその詳細が掲載されているので、それを紹介する。 信州飯田で生涯の大半を過ごし、51歳で自死した異色画家、山本弘を紹…
長野県の飯田市美術博物館で「コレクション展示 洋画家たちの小部屋―心の深遠―」が開かれている(10月1日まで)。地元出身の画家が取り上げられている。わが山本弘とその先輩関龍夫、それに原鼎の3人だ。3人で合わせて29点が展示されている。 ここでは山…
東御市梅野記念絵画館での山本弘展「All is vanity. 虚無と孤独の画家――山本弘の芸術」のちらしが届いた。会期は2023年9月9日(土)―11月26日(日)のほぼ2カ月半という長期間。そのちらしから、 信州飯田で生涯の大半を過ごし、51歳で自死した異色画家、…
長野県の東御市梅野記念絵画館で山本弘展「All is vanity. 虚無と孤独の画家-山本弘の芸術」が開かれることになった。期間は9月9日から11月26日までのほぼ2カ月半。美術館の紹介文を引く。 山本弘は、青春期を戦中、戦後混乱期に過ごし、価値観が逆転し…
山本弘「一本の道」(仮題)、油彩、F10号(天地53.0cm×左右45.5cm) 1976年の飯田市勤労者福祉センターでの個展で発表され、1994年京橋の東邦画廊での第1回遺作展に展示された。東邦画廊では「傘」と題して展示され、以前ここでも「傘」として紹介した。今…
山本弘「河原道」、油彩、F10号(天地53.0cm×左右45.7cm) 1976年制作。河原の真ん中に1本の道があり、その先に遠く山がそびえている。道は真っ直ぐ山に向かって伸びており、道の途中に1頭の黒い犬が立っている。山本はしばしば三叉路やT字路を描いているが…
山本弘の小品を並べてみた。いずれも6号という小さな作品だが、こうしてみると山本の別の顔が見えてくる。これらはいずれも晩年の作品で、小品でありながら取り付く島もないような印象を与える。特に最後となった1978年の個展では、奥さんに今回は絵は売らな…
山本弘は終戦時15歳だった。軍国少年だった山本が終戦をどう感じたのか正確には分からない。ここに勝目梓の『小説家』(講談社文庫)という自伝があり、勝目が終戦時の体験を語っている。 昭和20年(1945年)、日本の敗戦の年にこの世に生を受けたC女は、民…
山本弘「種畜場」、油彩、F30号(天地72.7cm×左右91.0cm) 1978年制作。画家が住んでいた長野県上郷町(現飯田市)に、家畜の種付け場があった。大型動物の受精場だ。牛や山羊などの交配をしていた。そこを描いたものだという。 飯田市近郊は天竜川の流域に…
山本弘「なだれ」、油彩、F12号(天地60.6cm×左右50.0cm) 1978年制作。赤いなだれを描いている。なだれは雪崩と書いて雪の崩れだが、斜面を崩れ落ちること、崩壊することもなだれだ。画面の右下に小屋のような小さな家がある。切迫感のある赤色で描かれたな…
山本弘「ネハン(臨終)」、油彩、F10号(天地45.5cm×左右53.0cm) 1978年制作、最晩年の作品。山本はこの3年後に自死した。キャンバスの裏に山本の手で「ネハン」と書かれ、その年に開かれた個展では「臨終」と題されて発表された。ネハン=涅槃は釈迦が高…
『山本弘遺作画集』に山本のデッサンが掲載されている。鳥を描いたものは1966年、自画像は1970年の作で、自画像は40歳の時のものということになる。 1966年は愛子と結婚した年、1970年の翌年長女の湘が生まれている。 鳥 自画像
もう40年近く前になるが、『山本弘遺作画集』に菅沼秀雄さんが「山本弘へのオマージュ」と題して追悼文を寄稿してくれた。菅沼さんは山本の小学校の同級生。私が紹介されたとき、魚問屋の専務だった。 以下、菅沼秀雄さんの投稿全文。 ・ 小学校が山本弘との…
山本弘「箱」、油彩、F10号(天地45.5cm×左右53.0cm) 1976年制作、山本弘46歳の晩年の作品。ワシオトシヒコさんが雑誌『美庵』に紹介してくれたことがある。私も山本が身近な箱を描いたと思っていた。ところがある人が、この絵は何を意味しているのか考えな…
山本弘「ばら」、油彩、F8号(45.5cm×37.8cm) 1966年5月制作、山本34歳のときの作品。やや初期に属する。裏面に名刺が貼付されていて、¥16,000とあるから16,000円で販売したらしい。現在の貨幣価値では5倍として8万円になる。 晩年の作品と違って分かり…
1976年9月の山本弘個展にカミさんと二人で参加した。その時、山本さんが奥さんの愛子さんにDVを働いた。東京へ帰ったあと、カミさんが愛子さんに手紙を書き、弘さんのDVを批難した。間もなく弘さんから手紙が来て、それはカミさんへの絶交状だった。 人間と…
『映画芸術』(NO.479)2022年春号「恩地日出夫、追悼」を読む。恩地監督は2022年1月20日に亡くなった。享年89歳、あと2日で90歳だった。多くの映画人が追悼の言葉を寄せている。 黒沢年男は、自分は若いけど人を見る目はあった方だと言って、恩地さんに対…
ここに山本弘の詩集『ありぢごく』第1集がある。発行は55年秋とあるから、山本弘25歳の時だ。そこから何編か紹介する。 (ひきはがされた夢が) ひきはがされた夢がさめきらぬうちに どろにまつわれつかれた足をそのまゝ 冷たい床の中になげ出して 逆上した…
来る6月15日は山本弘生誕92年の誕生日になる。これを機に山本弘の絵画の特質について書いてみたい。 山本弘の絵画を理解するキーワードは3つある。「アル中」「アンフォルメル」「象徴派」だ。まず、アル中について。山本弘は15歳で終戦を体験し、それまで…
山本弘(題不詳)、油彩、F10号(45.4cm×53.0cm) 制作年不明、サインなし、実は絵の天地も不明。木枠の下端に当るキャンバスに汚れが付いているので、その辺を下とした。制作年代もタイトルもサインも付いていないのは最晩年にときどき見られる。これもやは…
長野県飯田市に『橋』という同人誌がある。昭和32年創刊だから、もう65年の歴史を持っている。昨年11月に第73号が発行されている。その創刊号に山本弘がカットを描いている。山本27歳の仕事だ。それを紹介する。
山本弘「自画像」、デッサン 1971年制作、山本弘41歳。まだ2度目の脳血栓は起きていない。その分、手足の自由はそこまで損なわれていなかったのだろう。描写は正確でまさにこの通りの姿だった。珍しく鏡を見て描いているのではないか。人と対峙しているとき…
山本弘「ぼーし」、油彩、F3号(27.3×22.0cmか?) 1977年制作、山本弘47歳。帽子をかぶっている若い娘を描いている小品。クリーム色の絵具で顔の輪郭を描き、同じ色で鼻を描いている。左腕にもその色を置いている。娘はつばの広い帽子をかぶり、その帽子の…
山本弘「行列」、油彩、F50号(116.7×91.0cmか?) 制作年不詳。1968年に山本と飯田市中央公民館から上郷村(当時)の山本の自宅まで二人がかりで手に持って運んだ記憶がある。だからその直前あたりの制作だろう。山本30代の作品。中期の代表作といえる。 「…
山本弘「人柱像」、油彩、(83.0×63.1cm) 昭和27年(1952年)制作。山本弘22歳。ごく若いころの作品だ。当時の作品はあまり残っていないから貴重だ。裏面に紙が貼られていて、次のように書かれている。 行くやかたもなく 帰る床も知らず 只酔ひ痴れて ぬば…
山本弘「日々酔如泥」、油彩、M10号 昭和46年(1971年)制作。山本弘41歳。文字通り酒におぼれている自分自身を戯画化して描いている。本作は飯田市美術博物館所蔵となっている。しかし所蔵されている作品と少し違うところがある。所蔵されているものには左…
山本弘「雪景」、油彩、F4号(24.2cm×33.3cm) 制作年不詳。この作品を撮影したのは40年以上前になる。ポジフィルムで撮影したのであまり退色していない。30年ほど前当時勤めていた会社の応接に飾っていたら、落花生研究者の方が買ってくれた。絵を買うのは…