谷川俊太郎が亡くなった。巷には谷川俊太郎を惜しむ声が溢れている。皆がほとんど谷川俊太郎を絶賛している。谷川が第一級の詩人だったことは間違いない。しかしここまで無批判に絶賛して良いものか。私が持っている谷川の詩集は『自選 谷川俊太郎詩集』(岩波文庫)と『はだか』(筑摩書房)の2冊きりだ。『はだか』は武満徹作曲の『系図』のテキストになっている。歌ではなく、少女が詩を読むというスタイルだ。「曲の最後に現れるアコーディオンの旋律は、以前に書いたが使われなかった曲(映画監督ジム・ジャームッシュが1991年に制作した映画『ナイト・オン・ザ・プラネット』のために書いた曲)を再利用したものである」(Wikipediaより)。武満はその曲に谷川俊太郎の詩を選んだ。その曲も谷川のテキストも素晴らしい。
私は谷川俊太郎は日本の桂冠詩人に近いと思っている。桂冠詩人とは「イギリスでは王家が桂冠詩人の称号を与え、王家の慶弔の詩を読むことになっている」(Wikipediaより)。つまり王家公式のコピーライターだ。
丸谷才一が谷川俊太郎『日々の地図』(集英社)について書いている。『快楽としての読書 日本篇』(ちくま文庫)より。
「新宿哀歌」といふ詩の書き出しだが、こんなところを読むと、谷川俊太郎は戦後日本の北原白秋なのだと改めて気がつく。白秋の『東京景物詩』のせいではなく、あふれるほどの才能があつて、仕事ぶりがきれいで、口あたりのいい感じが、じつによく似ているのだ。ここには、明確でしかも快い言葉の流れがある。詩の原型である甘美なものをこともなげに差出す男がゐる。さらには、これでもうちよつと世界に奥行があつたらどんなにすばらしいだらうと思はせるところも、白秋そつくりだと言つて置かうか。
しかし、白秋では民謡がいちばんいいと三好達治は語つたさうだが、谷川は民謡を書いてゐない。地方出身者で造酒屋の息子である白秋が身につけてゐたやうな、生活者としての共同体感覚は、東京の哲学者の息子にはないのだろう。彼はその意味で、戦後詩人であるよりもむしろ都市化の時代の詩人なのである。彼には田村隆一が持つてゐるやうな形での(東京下町の風俗としての)伝統的な生活様式はない。大岡信が持つてゐるやうな、紀貫之や藤原定家の言葉と通ひあふものもない。彼は山の手と北軽井沢に生きながら、現代日本人を代表して、一種抽象的な喪失を歌ふ。
ChatGPTに、「谷川俊太郎への否定的評価を教えて」と聞いてみた。
谷川俊太郎は日本の現代詩の巨匠として高く評価されていますが、否定的な意見や批判も存在します。以下に代表的なものを挙げます。
- 詩のシンプルさや平易さに対する批判
谷川の詩は平易な言葉で構成されることが多く、そのシンプルさが多くの読者に親しまれる理由の一つです。しかし、一部の批評家や詩人は、このシンプルさが「深みや複雑さに欠ける」と指摘します。特に、伝統的な詩や実験的な表現を好む人々からは、「表現が浅い」「読者に解釈を委ねすぎている」と批判されることがあります。
- 大衆性と芸術性のバランスに関する意見
谷川は詩だけでなく、子ども向けの詩や絵本の執筆、歌詞の制作など幅広いジャンルで活動しています。この多才さが評価される一方で、「大衆向けに迎合しすぎている」「詩人としての純粋な芸術性を犠牲にしている」とする意見もあります。特に純文学的な詩を重視する人々の中には、彼のスタンスを軽視する声もあります。
- 詩の形式や革新性に関する批判
谷川の詩は、伝統的な詩形や定型詩から距離を置いていますが、一部の批評家はそれを「保守的すぎる」と見る場合があります。彼の作品が既存の詩的形式を破壊するほどの革新性や実験性を欠いているとする意見が、特に新しい詩の形を追求する詩人たちから聞かれることがあります。
- 作品の量と質に関する批判
谷川は膨大な量の作品を発表しており、その中には非常に評価の高い作品も多い一方で、一部の作品については「質が均一ではない」との指摘があります。「商業的な需要に応えるために、作品の精度を犠牲にしている」と批判されることもあります。
- 個人的な哲学や思想に対する反応
谷川の詩には、個人的な哲学や人生観が反映されていますが、これに対して「現代社会や政治への積極的な批判が少ない」「社会的文脈に対して中立的すぎる」との意見もあります。特に政治的、社会的なメッセージを強く求める読者や批評家からは、この点が物足りないとされる場合があります。
ただし、これらの批判は彼の作品全体を否定するものではなく、むしろ彼の詩が多くの人に読まれ、多様な意見を引き出している証拠とも言えます。
ChatGPT侮りがたし!