練馬区立美術館の野見山暁治展(後期)を見る

 東京練馬区練馬区立美術館で野見山暁治展「野っ原との契約」(後期)が開かれている(12月25日まで)。昨年亡くなった野見山さんの展覧会を練馬区立美術館のコレクションを中心に前期と後期で約80点展示するという。野見山さんは練馬区に住んでいて練馬区名誉区民だった。

 後期では後半生の作品を中心に展示している。前期・後期と見てきて、私は90年代の作品が一番好きなことを確認した。銀座の朝日ビルの地下のギャラリー上田で個展をしていた頃のものだ。

1996年

1994年

2004-2016年

2009年

1978年

1982年

1966年

1969年

1980年

2021年



 練馬区立美術館は、この展示を最後に長い休館に入り、建物を含めて新しく建て直すことになっているらしい。この美術館は区立美術館では世田谷区美術館同様好きな美術館の一つだ。新しい美術館が見られるかどうか分からないが、良い美術館が出来上がることを期待する。

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野見山暁治展「野っ原との契約」(後期)

2024年11月12日(火)-12月25日(水)

10:00-18:00(月曜休館)

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練馬区立美術館

東京都練馬区貫井1-36-16

電話03-3577-1821

https://www.neribun.or.jp/museum.html

 

 

ギャルリー東京ユマニテの野田裕示展を見る

 東京京橋のギャルリー東京ユマニテで野田裕示展「布に宿るものたち」が開かれている。野田は1952年和歌山県生まれ、多摩美術大学を卒業した翌年すでに伝説の南画廊で個展を開いている。その後ギャルリー東京ユマニテで個展を繰り返してきた。2012年には国立新美術館で大規模な個展が開かれた。

 ギャラリーのホームページより、

(……)昨年の個展では、支持体となるカンヴァス上に切り分けられたカンヴァスが重ねられ、それらを画面上でずらすことで生じたすき間が緊張感のある線や形となる作品を発表しました。

今展で発表される作品では、さらにカンヴァスが重ねられ、厚さ2cmの布の層によって作品が構成されています。絵具でマチエールが作られたカンヴァスの面と、布の重なりがあらわになった断面が様々に組み合わされ、時に画面からはみ出すように配置され、遊び心のある表情を見せます。自由な形や色はそのままに、これまでとは全く違う手法を用いた新たな展開となります。

 



 今回の作品はすべて天地14.0cm、左右29.5cmという小品だ。そして作品は限られた大きさの中で多様性を示している。野田の創造性の豊かさだろう。色彩も美しい。

 価格はいずれも198,000円となっている。

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野田裕示展「布に宿るものたち」

2024年12月5日(木)-12月25日(水)

10:30-18:30(日曜日休廊)

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ギャルリー東京ユマニテ

東京都中央区京橋3-5-3 京栄ビル 1F

電話03-3562-1305

https://g-tokyohumanite.com

 

ギャラリーなつかとCross View Artsのチョン・ダウン展を見る

 東京京橋のギャラリーなつかとCross View Artsでチョン・ダウン展「Manifesto for a Bird of Passage(渡り鳥のための宣言)」が開かれている(12月19日まで)。チョンは1989年韓国生まれ、2015年に武蔵野美術大学造形学部油絵学科版画専攻を卒業し、2017年から2年間ベルリン芸術大学に留学、2024年武蔵野美術大学大学院博士後期課程造形研究専攻修了。

 2017年にギャラリーなつかで初個展、その後もギャラリーなつかやギャラリーマルヒなどを中心に個展を繰り返している。

 ギャラリーのホームページからチョンの言葉。

さすらうイメージを眺めながら、それを僕の好みに合わせて編集的に描き替える。

そのイメージは既存のものから歪んでいるが、僕の日常に裂け目を作る装置となる。

この裂け目に油絵を通じてロマンチックに接近し、版画を通じて批判的に接近してみよう。

これらの二つの媒体を行き来しながら、深いところに埋まっている何かを汲み上げよう。


 チョンはいつも銅版画を作っていたが、今回は油絵も展示している。銃のようなものを持っている男には吹き出しがついている。画廊のスタッフの話では、チョンはもともと日本の漫画に触れてきたので、吹き出しが付いているという。しかし、どの吹き出しにも言葉は書かれていない。

 チョンは物語めいたテーマで描いているようだが、詳しい説明もなく、それがミステリアスだ。

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チョン・ダウン展「Manifesto for a Bird of Passage(渡り鳥のための宣言)」

2024年12月3日(火)-12月19日(木)

11:00-18:30(土曜日17:00まで)日曜日休廊

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ギャラリーなつか&Cross View Arts

東京都中央区京橋3-4-2 フォーチュンビル1F

電話03-6265-1889

http://gnatsuka.com/

 

 

ギャラリー檜B・Cのシマヅヨウ彫刻展を見る

 東京京橋のギャラリー檜B・Cでシマヅヨウ彫刻展「脈の感じ2」が開かれている(12月14日まで)。シマヅヨウは1962年兵庫県生まれ、1986年に武蔵野美術短期大学専攻科を修了している。1986年より個展を続けているという。昨年に続いてギャラリー檜B・Cで個展をしている。

上の作品の一部

 シマヅは一木造り、1本の木から作品を削り出している。それはやはり見事な技術と言うほかはない。ここまで作り出すことができるのかと感嘆してしまう。

 昨年もその技術に驚いたが、今年はさらにいっそう技術が高度化しているようだ。

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シマヅヨウ展「脈の感じ2」

2024年12月9日(月)―12月14日(土)

11:30-19:00(最終日17:00まで)

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ギャラリー檜B・C

東京都中央区京橋3-9-9 ウィンド京橋ビル2F

電話03-6228-6361

http://hinoki.main.jp

 

 

ChatGPTに聞いた谷川俊太郎批判、ほか

 谷川俊太郎が亡くなった。巷には谷川俊太郎を惜しむ声が溢れている。皆がほとんど谷川俊太郎を絶賛している。谷川が第一級の詩人だったことは間違いない。しかしここまで無批判に絶賛して良いものか。私が持っている谷川の詩集は『自選 谷川俊太郎詩集』(岩波文庫)と『はだか』(筑摩書房)の2冊きりだ。『はだか』は武満徹作曲の『系図』のテキストになっている。歌ではなく、少女が詩を読むというスタイルだ。「曲の最後に現れるアコーディオンの旋律は、以前に書いたが使われなかった曲(映画監督ジム・ジャームッシュ1991年に制作した映画ナイト・オン・ザ・プラネット』のために書いた曲)を再利用したものである」(Wikipediaより)。武満はその曲に谷川俊太郎の詩を選んだ。その曲も谷川のテキストも素晴らしい。

 私は谷川俊太郎は日本の桂冠詩人に近いと思っている。桂冠詩人とは「イギリスでは王家が桂冠詩人の称号を与え、王家の慶弔の詩を読むことになっている」(Wikipediaより)。つまり王家公式のコピーライターだ。

 丸谷才一谷川俊太郎『日々の地図』(集英社)について書いている。『快楽としての読書 日本篇』(ちくま文庫)より。

 

「新宿哀歌」といふ詩の書き出しだが、こんなところを読むと、谷川俊太郎は戦後日本の北原白秋なのだと改めて気がつく。白秋の『東京景物詩』のせいではなく、あふれるほどの才能があつて、仕事ぶりがきれいで、口あたりのいい感じが、じつによく似ているのだ。ここには、明確でしかも快い言葉の流れがある。詩の原型である甘美なものをこともなげに差出す男がゐる。さらには、これでもうちよつと世界に奥行があつたらどんなにすばらしいだらうと思はせるところも、白秋そつくりだと言つて置かうか。

 しかし、白秋では民謡がいちばんいいと三好達治は語つたさうだが、谷川は民謡を書いてゐない。地方出身者で造酒屋の息子である白秋が身につけてゐたやうな、生活者としての共同体感覚は、東京の哲学者の息子にはないのだろう。彼はその意味で、戦後詩人であるよりもむしろ都市化の時代の詩人なのである。彼には田村隆一が持つてゐるやうな形での(東京下町の風俗としての)伝統的な生活様式はない。大岡信が持つてゐるやうな、紀貫之藤原定家の言葉と通ひあふものもない。彼は山の手と北軽井沢に生きながら、現代日本人を代表して、一種抽象的な喪失を歌ふ。

 

 ChatGPTに、「谷川俊太郎への否定的評価を教えて」と聞いてみた。

 

谷川俊太郎は日本の現代詩の巨匠として高く評価されていますが、否定的な意見や批判も存在します。以下に代表的なものを挙げます。

 

  1. 詩のシンプルさや平易さに対する批判

谷川の詩は平易な言葉で構成されることが多く、そのシンプルさが多くの読者に親しまれる理由の一つです。しかし、一部の批評家や詩人は、このシンプルさが「深みや複雑さに欠ける」と指摘します。特に、伝統的な詩や実験的な表現を好む人々からは、「表現が浅い」「読者に解釈を委ねすぎている」と批判されることがあります。

 

  1. 大衆性と芸術性のバランスに関する意見

谷川は詩だけでなく、子ども向けの詩や絵本の執筆、歌詞の制作など幅広いジャンルで活動しています。この多才さが評価される一方で、「大衆向けに迎合しすぎている」「詩人としての純粋な芸術性を犠牲にしている」とする意見もあります。特に純文学的な詩を重視する人々の中には、彼のスタンスを軽視する声もあります。

 

  1. 詩の形式や革新性に関する批判

谷川の詩は、伝統的な詩形や定型詩から距離を置いていますが、一部の批評家はそれを「保守的すぎる」と見る場合があります。彼の作品が既存の詩的形式を破壊するほどの革新性や実験性を欠いているとする意見が、特に新しい詩の形を追求する詩人たちから聞かれることがあります。

 

  1. 作品の量と質に関する批判

谷川は膨大な量の作品を発表しており、その中には非常に評価の高い作品も多い一方で、一部の作品については「質が均一ではない」との指摘があります。「商業的な需要に応えるために、作品の精度を犠牲にしている」と批判されることもあります。

 

  1. 個人的な哲学や思想に対する反応

谷川の詩には、個人的な哲学や人生観が反映されていますが、これに対して「現代社会や政治への積極的な批判が少ない」「社会的文脈に対して中立的すぎる」との意見もあります。特に政治的、社会的なメッセージを強く求める読者や批評家からは、この点が物足りないとされる場合があります。

 

ただし、これらの批判は彼の作品全体を否定するものではなく、むしろ彼の詩が多くの人に読まれ、多様な意見を引き出している証拠とも言えます。

 

 ChatGPT侮りがたし!