櫻木画廊の中津川浩章展を見る

 東京上野桜木の櫻木画廊で中津川浩章展「描くことの根源へ」が開かれている(9月15日まで)。中津川浩章は1958年静岡県生まれ。和光大学で学び、個展をギャラリイK、パーソナルギャラリー地中海などで数回ずつ開き、その他、ギャラリーJin、ギャラリー日鉱、マキイマサルファインアーツ、Stepsギャラリー、櫻木画廊、ギャラリーナユタ等々で開いている。

「ねこのいる風景」

「神話作用」

「夢を歩く」

「特別なもの」

「鳥の人」

「まなざしと船」

「ミカエル」

「見えないもの」


 中津川は筆ではなく指を使ってほとんど1色で描いている。抽象的作風だが、よく見れば舟や樹木、動物や顔など、何か具象的なイメージが描かれている。描きなぐったような線の中から豊かなイメージが現れてくる。その線がまた美しいと言っていいだろう。

 タイトルは「ねこのいる風景」とか「神話作用」「夢を歩く」「鳥の人」「まなざしと船」「ミカエル」などとなっている。

 優れた画家のひとりだと思う。

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中津川浩章展「描くことの根源へ」

2024年9月4日(水)-9月15日(日)

11:00-18:30(最終日17:30まで)月・火休廊

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櫻木画廊

東京都台東区上野桜木2-15-1

電話03-3823-3018

https://www.facebook.com/SakuragiFineArts/

JR日暮里駅南口から谷中の墓地を通って徒歩10分

東京メトロ千代田線千駄木駅1出口から徒歩13分

東京メトロ千代田線根津駅1出口から徒歩13分

SCAI THE BATHHOUSEの前の交番横の路地を入って50mほどの左側

 

 

サリンジャー、村上春樹・訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読む

 サリンジャー村上春樹・訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(白水社)を読む。昔、野崎孝訳の『ライ麦畑でつかまえて』を読んでとても気に入った記憶がある。もう50年から55年くらい前だ。そんなに古い記憶なので、内容はほとんど覚えていなかった。この小説は大きな事件はなく、小さなエピソードの積み重ねなので、どこかが強く記憶に残るというものではない。

 何しろ50~55年前と言ったら相当な昔なのだ。例えてみれば、明治維新から50年は大正7年になる。55年後は大正12年だ。大正天皇明治維新の記憶はないだろう。まだ生まれてもいなかったのだから。

 その大正12年は3年後には大正15年、その12月15日に大正天皇が亡くなり、昭和となる。叔母はいつも、私は昭和生まれだと言っていたが、本当は大正15年生まれだった。叔母の同級生がわが檀家寺である渕静寺の和尚様小原泫祐さんだった。小原泫祐さんはわが師山本弘の先輩画家でもあった。小原さんはわけ合って若栗玄と名前を変え、2009年に83歳で亡くなった。

 まあ、そんなわけで50年というのは長い長い年月なのだ。昔読んだ小説の細部を忘れてしまっても仕方ないことだろう。でも、末尾近く忘れない一節があった。

 主人公のホールデンがアントリーニ先生と会ったとき、先生がヴィルヘルム・シュテーケルという精神分析学者の言葉を教える。

「未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ』

 私がおぼろに覚えている野崎孝の訳は「未熟な者はことに当たって英雄的な死を選び、成熟した者はことに当たって卑屈な生を選ぶ」というものだった。

 さて、昔あんなに気に入った『ライ麦畑~』は意外にもつまらなかった。私が年を取りすぎたのだろうか。まあ、これは若者向けの作品には違いないが。

 

 

 

 

アートスペース羅針盤の北村武志展を見る

 東京京橋のアートスペース羅針盤で北村武志展が開かれている(9月14日まで)。北村武志は1963年長野県生まれ、武蔵野美術大学日本画科を卒業している。1992年に岐阜県多治見市の画廊で初個展、以来名古屋地方を中心に個展を開いてきたが、東京では2000年の小野画廊以来24年ぶりの個展になる。



 北村は日本画を学んできた。作品はバックをアルミ箔、人物は油彩で、その他は岩絵の具を使っている。正面を向いた証明書の写真のような無表情な若者たちの作品が、今どきの流行りの作風にも思えて興味深かった。

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北村武志展

2024年9月9日(月)-9月14日(土)

11:00-19:00(最終日17:00まで)

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アートスペース羅針盤

東京都中央区京橋3-5-3 京栄ビル2F

電話03-3538-0160

http://rashin.net

 

Stepsギャラリーの田崎亮平展を見る

 東京銀座のStepsギャラリーで田崎亮平展が開かれている(9月14日まで)。田崎亮平は1988年神奈川県生まれ、2013年に東京大学工学部建築学科を卒業している。2013年にStepsギャラリーで初個展、今回が3回目の個展となる。

 田崎の制作方法について、Stepsギャラリーの画廊主吉岡まさみがブログに紹介している。

(田崎)亮平くんは3つのシリーズをトレーシングペーパーに描いて、壁に何枚も並べた。

自分の顔を撮影した写真をパソコンでいじって、その画面にトレーシングペーパーを載せてインクでなぞっていくのだが、なぞってできた画面にまた新しいトレーシングペーパーを載せて再びなぞるのである。これを何回も繰り返す。自分を写した「portrait」シリーズのほかに「diary」のシリーズがある。

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 何度もトレースすることによってイメージは段々あいまいになる。これを自分の顔写真や日記を素材に制作している。日記とは言ってもその一部分だから元は何が書かれていたかは分からない。もし最初の日記が少し読めてしかもそれがカミングアウトしたような内容ならもっと面白いかもしれない。いや単なる覗き趣味かもしれないが。

 しかし、制作方法を知らないで作品を見たら、ミニマルアートっぽくて、それはそれで面白いと思う。

 なお、作品の番号は何枚目のトレースかを示す。

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田崎亮平展

2024年9月9日(月)-9月14日(土)

12:00-19:00(最終日17:00まで)

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Stepsギャラリー

東京都中央区銀座4-4-13琉映ビル5F

電話03-6228-6195

http://www.stepsgallery.org

 

 

金丸裕子『自由が丘画廊ものがたり』を読む

 金丸裕子『自由が丘画廊ものがたり』(平凡社)を読む。副題が「戦後前衛美術と画商・実川暢宏」。実川は1968年、世田谷区の自由が丘に自由が丘画廊を開く。それ以前に戦後現代美術の草分けだった南画廊に出入りし、若いのに山口長男の80号の油彩の大作を買っている。自由が丘画廊では主に山口長男、李禹煥、駒井哲郎などを扱った。海外の作家ではポリアコフ、デュビュッフェ、ド・スタール、ステラ、フォンタナなど早い時期に扱っている。先見の明があったと言えるだろう。私も10年ほど前に何度か会って話を伺ったことがある。

 著者の金丸は2年間ほど実川に会って話を聞き、それを本書にまとめた。いわば実川の一人語りに近い形式だ。だからどうしても成功談のようになってマイナス面は語られない。私が会ったときも、展覧会では分かりやすいものが最初に売れる、しかし売れ残ったものが一番良いんだ。自分はその売れ残ったものを買っていると言っていた。なるほど、卓見だと感心したが、やはりそこまで断言するのは多少はったりぽいのではないかと実川に対する疑念が湧いた。

 本書でも実川が自由が丘画廊の顧客だったコレクターK氏を、東京画廊と南画廊にも紹介したと言っているが、スタッフだった竹内の記憶では、実川が海外へ行っている間に他の画商がK氏の電話番号を聞いてきたのだと言っている。現代美術の市場は小さくてコレクターを取り合っていたと。

 自由が丘画廊がほとんどを取り扱った駒井哲郎について実川はこう語っている。

「駒井さんは1974年、54歳で舌癌と診断されるのですが、価格は高騰していました。高いものでは20万円から30万円というのもありました。それでもぼくには画料を1万円から上げさせなかった。いくらお願いしても『実川さん、今さらいいよ』と言って聞かなかった。(中略)1976年に駒井さんがお亡くなりになったあとで、1万円で買っておいた版画の絶版30点ほどを(奥様に)お返ししました」

 実川は駒井が画料を上げさせなかったと言っている。しかし、中村稔の駒井哲郎の伝記『束の間の幻影』(新潮社)によれば少し違っている。

 駒井の版画は大きさにかかわらず1枚3万円で売られていた。その内駒井は1万円をもらっていた。生前最後の個展のとき、駒井は倍に値上げしてほしいと申し入れた。画商たちが相談して1枚4万5千円に値上げした。駒井には1万5千円が支払われた。

 実川に関してはいろいろな噂も聞いている。金丸は実川からの聞き書きで本書を書いたのだろう。だから実川の一方的な主張で終始してしまった。もっと広く美術業界に取材すべきだったのではないか。