eitoeikoの「桜を見る会」に参加した

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 神楽坂のeitoeikoで「桜を見る会」が開かれている(4月25日まで)。今年はなぜか総理主催の「桜を見る会」が中止されたので、楽しみにしていた人たちのためにeitoeikoの癸生川ディレクターが企画して開催されることになった。近くの矢来公園の桜は散ってしまったが、ギャラリー内には7人の作家の描いた桜が散ることなく爛漫と咲いている。総理夫妻は自粛しているのかまだ来ていないという。
 順番に紹介したい。

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硬軟「裁かれる心臓」:大岡越前が心臓(しんぞう=晋三)を裁いている。扁額の「至誠一貫」は現総理の座右の銘とのこと。小さな模型を作って撮影している。

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李晶玉「桜図」:李は今年のVOCA賞展に選ばれている。

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石垣克子「与儀公園にて1、2」「通りの桜、コザ1、2」:沖縄の寒緋桜を描いている

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フランシス真悟「Mirroring (violet-gold)」:見る角度によって桜色に見える

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岡本光博「日本の春5、6」:丸の中のイラストは小学館の『小学一年生』のシンボルマーク

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柳井信乃「Virtual Distance」「Newspeak」:イギリス住まいで封筒に写真を入れて送ってきた

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島本了多「サンシャインと桜」:陶板写真、サンシャインはA級戦犯を処刑した跡地に建てられた
同「チェリーブロッサム」:中右
同「マイネームイズサクラ」:中左
同「サクライズマイネーム」:下、絵筆を自分の陰毛で作っている

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島本了多「サクラ★ドロップス あきほ/ココア/りえこ」:セラミックで作ったファッションヘルスの女の子の名刺
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桜を見る会
2020年4月4日(土)―4月25日(土)
12:00-19:00(日月休廊)
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eitoeiko
東京都新宿区矢来町32-2
電話03-6873-3830
http://www.eitoeiko.com
地下鉄東西線神楽坂駅矢来口より徒歩5分
※服装は平服で結構とのこと

 

諏訪兼位『アフリカ大陸から世界がわかる』を読む

 諏訪兼位『アフリカ大陸から世界がわかる』(岩波ジュニア新書)を読む。同じ著者の『岩石はどうしてできたか』(岩波科学ライブラリー)は難しかった。だが本書は若者向けということなのでだいぶ読みやすい。
 まずアフリカ大陸の大きさが東京からオーストラリア大陸の南端まであると書かれていて驚く。最初にアフリカへ調査に渡ったのが1962年で船便で23日間かかったという。初めての船旅の様子が詳しく綴られ読み物としても面白い本に仕上がっている。
 ナイル川の巨大さとその研究=探検の歴史が語られ、それらと絡めてアフリカの地形・地質・地球の歴史が記述されていく。南アフリカに算出するダイヤモンドのエピソードがとても興味深い。
 南アフリカでダイヤモンドが発見されたのが1867年、貧しい少女が川岸で光る石を見つけたことに始まる。日本の明治維新の前年だった。諏訪が訪れた1970年には南アフリカのプレミア・ダイアモンド鉱山では毎日2万トンのキンバリー岩が採掘され、このなかから7500カラット=約2kgのダイヤモンドが集められている。
 紅海とアデン湾でアフリカ大陸とアラビア半島を引き裂いているプレート・テクトニクスの話も壮大でアフリカを語るに相応しい話題だ。アフリカの砂漠化とそれに取り組む東京農大名古屋大学の取り組みも興味深い話題だ。
 アフリカの地質・岩石を語りながらアフリカの歴史や造山運動、地球史まで広い範囲にわたって取り上げられている。このあたりに興味を持っている高校生、中学生にはうってつけの入門書だろう。私にも十分おもしろかった。

  なお、本書の表紙は諏訪が描いたもので、少年の頃は画家志望だったという。

 

アフリカ大陸から地球がわかる (岩波ジュニア新書)
 

 

 

山本弘の作品解説(96)「童(仮題)」

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 山本弘「童(仮題)」、油彩、F4号(24.3cm×33.5cm)
 1976年制作。山本弘46歳。最晩年の作品になる。仮題の童はキャンバスの裏面に誰かの手でそう書いてある。制作年と山本弘の署名は本人の手だ。しかし童が描かれていることは間違いない。戦後あたりの風俗か、普段着の着物を着た少女のように見える。左腕を下げ右腕をちょっと横に出している。左足はまっすぐで右足は少し動きがあるように見える。右側に向かって一歩を踏み出す瞬間だろうか。顔は乱暴に丸く描きなぐっているようにも見える。左右に塗られた青色がきれいだ。頭から左情報に伸びる白――山本得意の白がアクセントになっている。
 周辺は地色のままだが、頭や足は何色も塗り重ねている。山本は一見粗っぽい筆触を用いて写実と真逆の方法で、可愛らしい少女像を再現している。私はこれを寝室に飾っているのだが見飽きない。魅力的な1点だと思う。

 

 

絲山秋子『御社のチャラ男』の書評

 絲山秋子『御社のチャラ男』(講談社)の書評が朝日新聞に載っていた(3月28日)。書評子は辛口斎藤美奈子、チャラ男について簡単にまとめているが、私の理解しているチャラ男とあまりにもピッタリ合っていて驚いた。

 チャラ男の定義は一言ではいえないが、三芳部長(本書の準主人公で地方都市に本社を置くジョルジュ食品の営業統括部長)の評判を総合すると、見栄っ張りで世渡り上手、話題が豊富なわりに内容は聞きかじり、常に自分中心、頭がよくて危機管理能力が高い反面、責任感はない、そしてあまり働かない。
 そうです、あなたの職場でいえばあの人です。

 もしかしてチャラ男ってステレオタイプなのだろうか。普遍的人間なのだろうか。私の知っているチャラ男と徹頭徹尾変わらないというのも驚きだ。
 いや、せっかく書評で取り上げられていながら、改めて読まなくてもよく知った世界だという気がする。

 

御社のチャラ男

御社のチャラ男

  • 作者:絲山 秋子
  • 発売日: 2020/01/23
  • メディア: 単行本
 

 

司馬遼太郎『この国のかたち一』を読む

 久しぶり、20数年ぶりに司馬遼太郎『この国のかたち一』(文春文庫)を読む。1986年から1987年の2年間『文藝春秋』に連載した巻頭言をまとめたもの。結局この連載は10年以上続いたので評判が良かったのだろう。今回読み直してみて改めて司馬の魅力に取りつかれた。今まであまり司馬の小説は読んでこなかったが、『街道をゆく』などのエッセイは素晴らしく、『街道~』などは亡くなるまで書き続けた全43巻を2回通読したくらいだ。
 司馬は日露戦争後から終戦までの日本を厳しく批判する。日露戦争の勝利のあと、参謀本部が暴走し始め「統帥権」などという怪物を押し立て、太平洋戦争まで突き進んでいく。司馬はそれ以前の日本もそれ以後の日本も高く評価しているのに、この40年間が狂っていたとする。
 司馬は『統帥綱領・統帥参考』という古書について語る。原本は敗戦のときに一切焼却されて、この世には存在しないとされていた。奇跡的に残ったものを昭和37年に復刻した。
 戦時中特定の将校だけが閲覧できたものだった。中に参謀本部憲法の枠外にあると書かれている。統帥権は超法規的なのだと、議会(国会)に責任を負わないと。「われわれは天皇のスタッフだから憲法上の責任なんかないんだとする」と司馬が書いている。さらに戦時や国家事変の場合には統帥機関・参謀本部が国民を統治することができる、と。司馬が繰り返して書いている。「昭和10年以後の統帥機関によって、明治人が苦労してつくった近代国家は扼殺されたといっていい。このときに死んだといっていい」と。
 さて、今日の社会について、

 いまの社会の特性を列挙すると、行政管理の精度は高いが平面的な統一性。また文化の均一性。さらにはひとびとが共有する価値意識の単純化。たとえば、国を挙げて受験に熱中するという単純化へのおろかしさ。価値の多様状況こそ独創性のある思考や社会の活性を生むと思われるのに、逆の均一性への方向にのみ走りつづけているというばかばかしさ。これが、戦後社会が到達した光景というなら、日本はやがて衰弱するのではないか。

 ついで明治維新における土佐藩の役割を語るなかで、土佐には敬語が発達しなかったと書く。土佐人には「南海道」というものの気質が濃密だったと書き、「南海道」は7世紀末、七道の一つとして制定された地域で、紀州和歌山県)と淡路と四国を指す、と。

 土俗として平等意識がつよく、そのため過剰な敬語が発達しなかった(紀州方言にいたっては敬語がない)などの共通点がみられるが、後世、その気風が、摩耗せずに濃密に残ったのが、土佐だったといえる。

 私の田舎も敬語が発達していない。小学校のとき担任の宮島先生が花を指して、この名前が分かるかと生徒たちに訊いた。われわれは誰もその名を知らなかったので「知らん」と答えた。先生はそうだと言った。ラン科の「シラン」だった。子どもたちが「知らん」と答えるのを予測して訊いたのだった。決して「知りません」とは答えなくて。
 そんな子供時代を送ったためか、現代の敬語過多の状況が落ち着かない。敬語は必要最小限にすべきだと思っている。過剰な敬語は論理的な表現と相性が悪いと思う。とくにテレビで普通の人にインタビューしたとき過剰な敬語が返ってくる。おそらく敬語の使い方を間違えたくないとの思いから必要以上に敬語表現を取り入れてしまうのではないか。敬語使用に関する自信がないのだろう。もっと省いて良いのです。(父さん、えっらそうにと娘が言う)。まあ、いいではないか、私も70歳を超えた爺さんだ。60歳の船頭さんだって船を漕ぐときは櫓が撓るのだから。(←何が言いたい?)
 20数年ぶりに本書を読み直したと書いたが、『この国のかたち』は6巻まで出ている。2巻以降はまだ読んでないと思うので、それらも楽しみだ。

 

この国のかたち 一 (文春文庫)

この国のかたち 一 (文春文庫)