阿利漠二『ルソン戦―死の谷』を読む

 阿利漠二『ルソン戦―死の谷』(岩波新書)を読む。私は本書を36年前、発行直後の1987年に購入している。本棚に差したまま一度も読んでいなかった。本文は紙がちょっと焼けて黄色みを帯びている。

 どうしてこんな重要な本を読まなかったのか、もっと早くに読むべきだった。私だけではなく多くの日本人が読むべき本だった。

 著者阿利漠二は1922年大正11年生まれ、東京大学在学中に学徒出陣で戦場に駆り出され、昭和19年暮れに敗色濃いフィリピン戦線に投入される。すでに日本は負け戦で、制海権も制空権もアメリカ軍に奪われ、日本軍には武器弾薬も食糧も不足していた。さらにマラリアが猖獗を極め、栄養失調の兵隊たちが普通だった。

 著者はフィリピンのルソン島に転属されたが、新年早々アメリカ軍がリンガエン湾から上陸侵攻してきたのに追われて、ルソン島北部に向って山中を徒歩で移動していく。それは悲惨な敗走だった。米軍機の銃爆撃に対して反撃ができない。反撃すればそこを重点的に攻撃されるから、ただ逃げ惑うだけだ。赤十字を掲げた病院も爆撃される。

 著者は大正11年生まれの学徒出陣兵だった。私の義父はその1年下でやはり学徒出陣陛だった。義父は中国戦線に投入されたので、本書の著者ほどは悲惨ではなかったと思われるが、それでも悪い記憶しかないと一切を話してくれなかった。自分の先輩たちは結構良い思いをしてきたけれどとも。

 本書を多くの日本人が読むべきだと思う。大変重要な記録書だと思う。

 

 

 

角谷詩織『ギフテッドの子どもたち』を読む

 角谷詩織『ギフテッドの子どもたち』(集英社新書)を読む。ギフテッドとは普通天才児を指すと思われている。それに対して角谷詩織は、ギフテッド児は並外れた才能はあるけれど天才とは限らないという。むしろ90%は天才ではないと。(天才はギフテッドだが、ギフテッドが天才とは限らない)。そしてIQによりギフテッドをいくつかのカテゴリーに分けることがあるとして、IQが

115~129がマイルドリー・ギフテッド

130~144がモデレイトリー・ギフテッド

145~159がハイリー・ギフテッド

160~179がエクセプショナリー・ギフテッド

180~がプロファウンドリー・ギフテッド

とされる。

 IQ100が標準で、一般にはIQ130以上が天才と呼ばれることが多かった。私の友人でもモデレイトリー・ギフテッドが一人と、親戚にエクセプショナリー・ギフテッドが一人いる。また知人の画家に医者からギフテッドだと診断された女性がいる。

 角谷詩織はギフテッドの子どもたちが、教育現場で難しい立場に置かれていることを指摘している。しばしば発達障害を伴うこともあるという。

 私の知人の3人とも極めて高い並外れた才能を示しているが、けっこう生きづらい人生を送っているようにも見える。

 日本の教育制度では平等主義が強く、学習に困難のある子どもに支援をして他の子どもとの差を縮めることが優先される傾向がある。知的能力が高い子どもをさらに伸ばすという志向はないようだ。

 ギフテッド児の教育がなかなか難しいことがよく分かった。でも私の知人たちがきちんと教育されていたら、より社会的に有能な人材に育っていたのではなかったかと思う。何しろIQ170の知人は職場で半人前などと思われていたほどなのだった。

 

 

 

池上彰/パトリック・ハーラン『世界を動かした名演説』を読む

 池上彰パトリック・ハーラン『世界を動かした名演説』(ちくま新書)を読む。池上彰パトリック・ハーラン(以下パックン)が対談で、名演説を紹介し、その名演説であるポイントを紹介する。特にパックンは英語原文のレトリックの面白さやリズムの良さ(韻文)を解説している。

 取り上げられている名演説は、チャーチル英首相、ゼレンスキー大統領、ケネディ大統領、レーガン大統領、ヴァイツゼッカー西独大統領、ネルーインド首相、鄧小平、昭和天皇安倍晋三首相、キング牧師マルコムXマンデラ南アフリカ大統領、マララ・ユウスフザイ、ジャシンダ・アーダーンニュージーランド首相、メルケルドイツ首相の15人。

 え、昭和天皇? 安倍晋三? リーダーたちの演説は優秀なスピーチライターが欠かせない。また、パックンはアメリカでは常識で日本人が知らない面白いエピソードを教えてくれる。

 チャーチルの第2次大戦時のこの演説は「現代史を動かした名演説の定番」。ウクライナのゼレンスキー大統領のアメリ連邦議会での演説では共和党の下院議員は213議席中出席したのはわずか86人。アメリカの下院議員は選挙区の有権者の数が(上院議員と比べて)少ないので、極端な人が多いとパックンが言う。

 ケネディ大統領にはアメリカ史上最高のスピーチライターの一人、テッド・ソレンソンがいた。パックン曰く「ケネディ大統領はビジョンはありますが、政治力は正直言ってあまりありません」。政治力なら後任のジョンソンの方がずっと強い。しかしケネディのビジョンを見せるという点では、ベルリンでの演説と就任演説、宇宙開発を邁進するアメリカを見事に示したライス大学での演説の3つがピカイチだという。

 レーガン大統領の政策では「レーガノミクス」が有名で、安倍晋三首相が「アベノミクス」と言い始めた。レーガノミクスは成功していない。それに関して池上が言う。「レーガノミクスというのは冷笑された言葉なんです。だから安倍晋三元首相が「アベノミクス」と言い始めたとき、あんなバカにされた言葉をもじるなんて、彼はレーガン歴史的評価を知らないのかと思った」。そのレーガンはユーモアセンスが抜群だった。

 ヴァイツゼッカーの西ドイツ連邦議会での演説は「史上最強の謝罪演説」と言われている。ナチスドイツがしたことに対して謝罪の意を公式に表明した。この演説は岩波ブックレットでも出版されている。

 昭和天皇終戦時の演説と安倍晋三首相のアメリ連邦議会での演説は世界を動かしていないので番外編として取り上げた。小泉純一郎首相は訪米の折り、ブッシュ・ジュニア大統領から連邦議会で演説するかテキサスの牧場に来てプレスリーを一緒に歌うか、そのどちらにするかと聞かれてエルヴィスを選んだ。安倍晋三首相のこの演説はスピーチライターが優れていたので「数々の演説テクニックを駆使した名スピーチだった」とパックンは評価する。

 マララの簡単な英語で優れた演説と比較して、トランプ大統領の英語は「小学校レベル」(池上)、「彼は背伸びして小学校レベル」(パックン)と厳しい。

 本書は名演説集と題しているが、各演説は多く要約でしかも活字がとても小さい。ただ英文が併記されているのもある。名演説集というより名演説集解説というのが正確な題名だろう。私は純粋に演説が並んでいると思ったのだったが、これで良かったとも思える。

 

 

 

巷房・1+階段下の近藤あき子展を見る

 東京銀座の巷房・1+階段下で近藤あき子展が開かれている(12月2日まで)。近藤あき子は新潟県生まれ。1966〜1972年、早稲田大学および同大学院でロシア文学を専攻する。1976〜1986年、新起流美術研究所等にて油絵を学ぶ。1987年渡米し、ヒューストンGlassell School of Artの奨学金を受け絵画、彫刻、美術史を学ぶ。1992年、帰国。1993年より、ギャラリーアートポイント、中和ギャラリー、ギャラリー21+葉、マキイマサルファインアーツ、ギャラリー現などで個展を開いてきた。2012年にはフランスでも個展を開いている。ギャラリー現では抽象画を展示していたが、最近はインスタレーションが多かった。今回は巷房・1では抽象画を展示し、階段下ではインスタレーションを展示している。


 巷房・1の平面作品。絵具の濃淡で作品を作っている。赤が美しい。


 階段下ではまず某国の大統領のデッサンが目につく。床にはそれと同一人物の布で作られた立体像が設置され、突き当たりの壁に置かれているのはやはり同じ人物の将来を表しているのだろうか。手前の壁にも倒れた人物が置かれている。近藤のインスタレーションは強い政治的メッセージを発している。

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近藤あき子展

2023年11月27日(月)―12月2日(土)

12:00-19:00(最終日17:00まで)

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巷房・1+階段下

東京都中央区銀座1-9-8 奥野ビル3F+B1F

電話03-3567-8727

https://gallerykobo.web.fc2.com/

 

 

 

コバヤシ画廊の野沢二郎展を見る

 東京銀座のコバヤシ画廊で野沢二郎展「土にふれて」が開かれている(12月2日まで)。野沢は茨城県生まれ、1982年に筑波大学大学院を修了している。これまで「VOCA展'97」や同年の「バングラデシュ. アジア美術ビエンエーレ」に参加し、2012年はDIC川村記念美術館の企画展「抽象と形態」にも選ばれた。ここ銀座のコバヤシ画廊では2000年以降毎年個展を開いている。

「この辺りに」



 今回画廊の正面に大きな作品が展示されている。「この辺りに」と題されたその作品は天地130cm、左右300cmもある。野沢の作品は抽象画に分類されるだろう。抽象画は普通平面的で奥行きはない。ところが野沢の作品にはいずれも奥行きが感じられる。

 野沢の抽象画はその根底に風景をはらんでいるように見える。そのことは作品の是非とは何の関係もないが、野沢の作品を理解するのに有効な視点ではないだろうか。

 もう一つ、野沢の色彩は乾いていない。濡れている色彩だ。これも物理的なものではない。このことは野沢の作品の魅力の一面でもあるのだろう。

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野沢二郎展「土にふれて」

2023年11月27日(月)―12月2日(土)

11:00-19:00(最終日17:00まで)

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コバヤシ画廊

東京都中央区銀座3-8-12 ヤマトビルB1

電話03-3561-0515

http://www.gallerykobayashi.jp/