東京都美術館の「人人展」を見る

 東京上野の東京都美術館で「人人展」が開かれている(3月31日まで)。「人人展」は異端の日本画家中村正義の提唱で生まれたグループ展だ。

 長く事務局長を務めてきた郡司宏が2020年の11月に亡くなり、追悼展示として郡司の作品が並べられている。その他、私の知人を中心に気になった作品を紹介する。

 

郡司宏

郡司宏

郡司宏

亀井三千代

亀井三千代

古茂田杏子

古茂田杏子

内藤瑤子

内藤瑤子

LUNE

宇里香菜

成田朱希

成田朱希

林晃久&マロン

林晃久&マロン

大野俊治

吉田佑子

大野泰雄

大野泰雄

箕輪千絵子

 

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「人人展」

2023年3月25日(土)-3月31日(金)

9:30―17:00(最終日15:00まで)会期中無休

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東京都美術館

上野公園内 1階第4展示室

電話03-3823-6921(会期中)

 

ギャラリー・ビー・トウキョウの渡邊和生展を見る

 東京京橋のギャラリー・ビー・トウキョウで渡邊和生展が開かれている(4月1日まで)。渡邊は2000年生まれ、2023年に多摩美術大学彫刻科を卒業し、今回が初個展となる。

エレファント


 画廊の中央に「エレファント」と題する高さ120mの大きな立体作品が展示されている。赤く大きなベロを口から出して、それは床まで達している。どこがエレファントなのか。あまり可愛いものではないし、むしろおぞましいような印象を受ける。とにかく印象が強烈なのだ。(ちょっとミック・ジャガーを連想した)。これ一つで渡辺の作品は忘れられないものになる。素材はFRPとのこと。

 ほかに豚の頭部や猫などが展示されていたが、メインのエレファントに比べたらさほど面白くはなかった。なるほど、一つ傑出した作品があれば、それだけで作家の評価は決まるのか。

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渡邊和生展「エレファント」

2023年3月27日(月)-4月1日(土)

11:00-19:00(最終日17:00まで)

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ギャラリー・ビー・トウキョウ

東京都中央区京橋3-5-4 第1吉井ビルB1

電話03-5524-1071

http://www.gallery-b-tokyo.com

 

ギャラリーカメリアのしらすサラダ展を見る

 東京銀座のギャラリーカメリアでしらすサラダ展が開かれている(4月1日まで)。しらすは1993年生まれ、現在建築会社で働いている。しらすは自分の部屋のために、自分だけのモノを作り続けているという。それが類まれなモノでとても面白い。

 画廊のHPには、「初個展にして10周年記念。精巧でクールな無意味プロダクト」とある。


 真四角な木製の箱がある。これが自作のラジオで、その設計図が展示されている。この設計図がそれらしく描かれているがフェイクで、これも作品だという。ラジオからはちゃんと音が出る。

 ハイパーエキセントリックメディアボーイというのは、自作のカセットテープ(これもフェイク)を組み合わせたメディアプレーヤーで、実際はiTunesから音を出している。

 他にもLEDで点滅する架空のブランドロゴとか、自分用の標語などをレイアウトしたパネル等を展示している。

 これらをすべて発表する意図なしに10年間制作してきたという。このユニークな才能を美術業界が知ったら、ブレークするのは間違いないだろう。

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VAMRESS展/しらすサラダ

2023年3月18日(土)-4月1日(土)

12:00-19:00(最終日17:00まで)

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ギャラリーカメリア

東京都中央区銀座1-9-8 奥野ビル5階

https://www.gallerycamellia.jp/

 

 

十重田裕一『川端康成』を読む

 十重田裕一川端康成』(岩波新書)を読む。副題が「孤独を駆ける」、川端康成の評伝だ。私は若いころ川端が好きで、長篇など主な作品はほとんど読んでいた。もう50年前になる。そんなこともあって新刊が発売されてすぐ買い、早速に読んだ。

 十重田は本書で川端の作品が発表されたころの横光利一菊池寛など影響のあった同僚や先輩との交流、また川端の作品の書誌などを丁寧に紹介している。文献情報も詳しく、引用した先行研究を示して、さらに誰でも参照できるようにしている。

 当時の社会状況についても詳しく、川端が置かれた環境からどのように作品が成立したのかを追っている。大変根気のいる仕事だったと思う。ただ、それだけに作品論的な側面は少なく、中では「雪国」に関する章が比較的詳しく分析している。

 その意味で本書は川端康成研究書としてよくできているのだろうが、私のように研究者ではなく、川端ファンが作品について知りたいという欲求は少し肩透かしを食らった印象だ。ではお前はどんな川端康成論を期待していたのか。

 それに対しては理想的な例がある。加藤周一『日本文学史序説 下巻』(ちくま学芸文庫)だ。ここの川端康成に関する部分を抜書きする。

 

 川端は少女と焼物を愛した。たとえば「生命が張りつめてゐて、官能的でさへある」志野の茶碗(「千羽鶴」)。水指の表面は川端の主人公にとっては、女の肌と区別し難いものである。「白い釉のなかにほのかな赤が浮き出て、冷たくて温かいやうな艶な肌」(同上)。同様に女の肌は、ほとんど陶器の表面そのものであって、「白い陶器に薄紅を刷いたやうな皮膚」(「雪国」)でなければならない。焼物も、女も、見て美しいばかりでなく、指で触れ、その指の先の感覚に、主人公とそのものとの関係のすべてが要約されるような対象である。(……)一方には、女の物化があり、他方には、物の官能化がある。女は焼物の如く、焼物は女の如くである。

 この点に関するかぎり、川端の小説は一貫していた。「伊豆の踊子」の少女の「若桐のやうに足のよく伸びた白い裸身」から、30年近く経って、「みづうみ」の「夜の明りの薄い青葉の窓に、色白の裸の娘が立っている」ときまで、女は常に視覚に、触覚に、あるいは聴覚に訴える美しい対象であり、彫刻のような物であって、決して主体的な人間ではなかった。その極端な場合が、「眠れる美女」である。(……)超現実主義的な「片腕」に到ると、もはや女の側には肉体的な全体性さえもなくなり、「エロティック」な対象は、女の身体の一部分に集中するのである。

 

 加藤周一の見事な川端康成論だ。そして、続けて、

 

(……)「雪国」はあきらかに川端の最高の傑作であり、おそらく両大戦間の日本のすべての小説のなかでも傑作の一つである。

 

 と高く評している。

 私の求めるものが違っているのかもしれないが、十重田の川端康成論には加藤周一の視線がない。ならば中公新書ちくま新書が、新たな川端康成論を企画出版することが可能だろう。それが出版されればぜひ読みたいと思う。

 

 

 

 

国立新美術館の日本アンデパンダン展を見る

 東京六本木の国立新美術館で第76回日本アンデパンダン展が開かれている(4月3日まで)。日本アンデパンダン展には田舎の知り合いの画家たちがいつも出品していた。その人たちの作品を見たくて毎年出かけている。でも皆さん高齢になって一人二人と出品を取りやめ、今年は田舎の知り合いが誰も出していなかった。ここでは知人や気になった作品を紹介する。

 

 まず「霊的革命」という作品。数人の共同制作のようで作者名が「混沌の首・石川雷太・羅入・神林和雄・北野美月・昼間光城・山田遼」となっている。

 黒いプレートが並び、白い文字で短い警句のような文が書かれている。それらの作者として、ダライ・ラマ、ダンテ・アリギエーリ、ニコラ・テスク、アルフレッド・アドラーダダカンニーチェブッダ三島由紀夫、石川雷太などの名前が挙がっている。石川雷太の言葉を引く。

事実を語れない芸術は片端である

事実を語らない芸術は詐欺である



 次に井上活魂の立体作品、「入居者」。

いつものようにゴミのような素材を組み立てている過激な作品

 


 木村勝明「記憶の箱」

 熊谷榧(熊谷守一の娘)

 中村瑞穂

 大野修

 鳴海由光

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第76回日本アンデパンダン

2023年3月23日(木)-4月3日(月)

10:00-18:00(最終日14:00まで)3月28日休館

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国立新美術館

東京都港区六本木7-22-2

http://www.nihonbijyutukai.com