澁谷由里『張作霖』(岩波新書)を読む。袖の惹句から、
馬賊の頭目から満洲の覇者となり、日本軍に爆殺された張作霖(1875-1928)。その生涯は、近代国家・中国が生まれゆく道と日本の大陸進出とが交差するところに存在した。袁世凱、段祺瑞、孫文など同時代の群像や関東軍との関係を丁寧にひもとき、乱世の生涯を描ききる。爆殺の真実、そして彼が残したものとは何か。
張作霖爆殺事件は関東軍の河本大作大佐らが計画・実行した。この謀略工作について、歴史学者の大江志乃夫は、張作霖が爆殺されればその部下の軍隊がただちに現場に駆けつけるだろうから、主権侵害を口実に武力衝突を引きおこす計画だったと推測している。
当時の田中義一内閣は天皇の信任を失って総辞職し、河本は閑居して退役した。しかし、その後陸軍関係の貿易に携わり、満鉄理事や関連会社の社長を歴任している。つまりは深くは責任を追及されなかった。
当時、国民革命軍の北伐が進行し、北京の張作霖が窮地に陥っていた。張作霖の奉天軍を武装のまま奉天に帰還させれば、「満洲」在住日本人・約20万人に危害を加える恐れがあった。関東軍は奉天で「第二の済南事件」が起きることを恐れていた。済南事件とは、山東省済南市で発生した国民革命軍と日本人居留民とのトラブル、およびそれをきっかけとした日本軍と革命軍の軍事衝突だった。
渋谷百合は張作霖の幼少期から張作霖の成長を丁寧に追っている。馬賊から奉天~東北の王となり、混乱する中国の内乱のなかで頭角を現し、やがては孫文とも連合し、しかし孫文の死後の混沌で張作霖の奉天軍は破れ、奉天へ逃れる途中に爆殺されてしまう。本当はこんなに単純なことではないが、敵味方が複雑に入り組んで、日中戦争に入っていく。
張作霖の評伝なので、その点詳しく語られていてよく分かったが、私のように当時の歴史があいまいな者にとっては、もう少し歴史の動向も併せて語ってほしかった。





































