真木悠介『自我の起源』を読む

 真木悠介『自我の起源』(岩波現代文庫)を読む。袖の惹句から、

本書は、比較社会学の視座から現代社会を考察してきた著者が、生命史における「個体」発生とその主体化の画期的意義を明らかにする。遺伝子理論・動物行動学・動物社会学の成果に向き合いつつ、動物個体の行動の秘密を探り、「自我」成立の前提を鮮やかに解明する。

 

 中村桂子が大澤真幸ほか編『見田宗介/真木悠介を継承する』(岩波書店)の書評で、『自我の起源』に触れている(毎日新聞、2026年10月10日)、 

利己的個人を、公理のように採用している社会に対して、真木はエゴイズムは人間の本源的条件かと問い、生命科学が示す、主体化された個体が他者を共生者として迎え入れるメカニズムに注目する。「個体は、自己目的化に抗して自己裂開する構造をもって」おり、それゆえにエゴイズムの束縛から逃れることができるのだ。集合的なエゴイズムについては、「部族」のような共同体での慣習が、実は普遍性への指向を孕んでいることを示し、人間は「〈類(普遍性)〉のことを配慮し、〈類〉の運命を気に掛ける」存在なのだと言う。私が専門とする生命誌では、配慮は人類に止まらず、あらゆる生きものに向く。

 

 とても参考になったが、自我の起源を生命の原初まで求めなくても良いのではないかとも考えた。原理的には真木の探求が本筋なのだろうが、そこまで追求しなくても類人猿以降の研究でも十分ではないかと愚考した。

 

 

 

コバヤシ画廊の村山隆治展を見る

 東京銀座のコバヤシ画廊で村山隆治展「inside out」が開かれている(10月24日まで)。村山隆治は1954年茨城県生まれ、1980年に東京芸術大学大学院美術研究科を修了している。その後、ギャラリー山口やギャラリー手、ギャラリー21+葉などで個展を繰り返した後、2007年からは毎年コバヤシ画廊で個展を開いている。

 村山は特殊な方法で作品を作っている。ガラス絵の技法だが村山はガラスではなくアクリル板を使う。ガラス絵同様に裏面に描く。キャンバスに描くのとは違って、最初に置いた絵具が一番の表面になる。キャンバスに描いた場合は、最後に置いた絵具が表面になるのと正反対なのだ。さらに村山は筆ではなく手で描いている。


 今までと色が変わっていた。村山の色はやや暗い印象があったが、正面の大作は明るく華やかな色になっている。

 作品を見ていると奥から村山が現れたが、杖を2本使っている。腰を痛めたとのことだった。村山はガラス絵の技法で制作している。裏から描いてそれを一々ひっくり返して作品を確認しながら描いているという。そのため大きなアクリル板をその都度ひっくり返さなければならない。腰を痛めるとその作業に支障をきたすことになる。今後の大作の制作は大丈夫だろうか。

 一般にガラス絵は小品が普通だ。大きなアクリル板に描く村山の手法はきわめて独特のものなのだ。体調を回復してまた大作を描いてほしい。

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村山隆治展「inside out」

2026年10月19日(月)-10月24日(土)

11:30-19:00(最終日17:00まで)

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コバヤシ画廊

東京都中央区銀座3-8-12 ヤマトビルB1F

電話03-3561-0515

http://www.gallerykobayashi.jp/

 

巷房の高橋敬子展を見る

 東京銀座の巷房で高橋敬子展「もし私が羊歯ならば」が開かれている(10月24日まで)。高橋敬子は1954年群馬県生まれ、1977年に群馬大学教育学部美術専攻を卒業している。都内ではギャラリーなつかのほか、ここ巷房で10回以上個展を開いている。

巷房2


 今回はインスタレーションを展示している。何と大麦の禾(のぎ)を5年間集めたものだという。それを巷房1と巷房2で展示している。

 私は長い間様々な個展を見てきたが、大麦の禾を使った造形は初めて見た。もうそれだけで全くユニークな試みだが、その膨大な禾をこのような造形にしたのも素晴らしい。この作品から禾の量が凄まじいことと、その造形が美しいことがひと目で分かる。

 今まで誰も試みなかったことと、それを美しい造形に作り上げたことで、髙橋は非常に完成度の高い展示を成し遂げたのだ。

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高橋敬子展「もし私が羊歯ならば」

2026年10月19日(月)-10月24日(土)

12:00—19:00(最終日17:00まで)

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巷房1(3階)

巷房2(地下1階+階段下)

東京都中央区銀座1-9-8 奥野ビル3F・地下1F

電話03-3567-8727

https://gallerykobo.jp

 

ウラダナの野津晋也展を見る

 東京墨田区京島のウラダナで野津晋也展「別口」が開かれている(11月8日まで)。野津晋也は1969年島根県松江市生まれ、1992年に鳥取大学農学部を卒業した。さらに2000年に東京芸術大学美術学部油画専攻を卒業し、2002年に同じく東京芸術大学大学院油画専攻を修了している。今までにアートギャラリー環や表参道のMUSEE Fなどで個展を行っている。野津は現在の日本では数少ないシュールレアリズムの画家だ。

DM葉書



 今回野津は墨田区京島にあるウラダナというスペースを選んでいる。ここ京島3丁目は空襲に遭わなかった地域だ。それで古い民家や古くて狭い道路が残っている。その古い一軒家を貸しスペースにして時々展覧会などが開かれているらしい。

 野津はユーモアのあるシュールレアリズムの絵を描いている。W型の屏風状に作った絵画は展開すれば左右360cmもある。ただ、この空間ではちょっと見えづらかった。野津好みの建物が描かれ、そこに腕が伸びたりちょっと変な日常が見えたりする。模型のような建物のオブジェも展示されていた。

 野津は実力のあるユニークな画家だから、やはりゆったりしたギャラリー空間で見てみたい。

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野津晋也展「別口」

2026年10月17日(土)-11月8日(日)

11:00—18:30(最終日は17:00まで)木・金・土・日のみ開廊

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ウラダナ

東京都墨田区京島3-57-7

※東武亀戸線小村井駅より徒歩9分

京成曳舟駅文化センター出口より徒歩12分

 

TS4312の澤登恭子展を見る

 東京四谷3丁目のTS4312で澤登恭子展「absence」が開かれている(10月25日まで)。澤登恭子は1998年東京藝術大学美術学部絵画科油画卒業、2000年に同大学大学院美術研究科壁画研究室を修了している。今まで水戸芸術館や大阪、ロンドン、山口などで発表してきたが、ここTS4312では2024年に続いて4回目の個展となる。

 澤登のコメント、

蝋で型どった自身の指先の型を無数に作り、花びらに見立た作品。この素材はこれまで個々の小さな感情や力が集積し、やがて抗えないムーヴメントとなっていく様を表わしてきた。しかし今回は、それらが集積することで今既に存在しないものがかつて確かにそこに居たことを証明し語るものとして存在している。

ある日不在になった存在の多くは、時と共に少しずつ自分の記憶から薄れてゆくが、そんなかつての記憶が、香りや音の刺激により、自分の中で突然鮮明に甦る瞬間がある。その時、それらの存在は集積した時間に埋没していたのではなく、しっかりと模られていたのだと腑に落ちる。

塵のように、存在していたものの輪郭を残して堆積してゆく花びらたちは、過ぎていった時間を可視化し、時間の経過と共に、かつての存在や記憶をより鮮明にし、悼み、慈しむのである。


 自身の指先の型で作られた花びらに囲まれた空虚なネガの人型。かつて確かにそこに居たことを証明し語るものとして存在している。ネガ=空虚はかつてそこにあったことを証明している。人型は空虚だが、それこそかつて確かに存在していたものの証明なのだ。そのネガ=空虚は花びらたちという記憶によって浮かび上がらされている。その複雑な構成を見事に造形している。壁に展示されているのは一昨年の雛人形のインスタレーションの記録写真だった。

 タイトルの「absence」は不在を意味している。

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澤登恭子展「absence」

2026年10月2日(金)-10月25に位置(日)

13:00—19:00(最終日17:00まで)

会期中の金土日のみ開廊

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TS4312

東京都新宿区四谷三丁目12番地 サワノボリビル9階

電話03-3351-8435

https://ts4312r.com/

※東京メトロ丸の内線四谷三丁目駅1番出口から徒歩1分