2006-10-01から1ヶ月間の記事一覧

昔から消極的だったので自分を鼓舞する諺を作った。 採らぬ柿は採れぬ。 するとすかさずプレイボーイの友人が言った。 採れぬ柿は採らぬ。

星秀雄の思い出

星秀雄は高校の同級生で最も親しい友人だった。高校在学中に鈴木に姓が変わった。 高校生の頃から映画が好きでシナリオライターになりたいと言っていた。われわれの高校は地域でも自由度が大きく、喫茶店に出入りができる唯一の高校だった。43年前にすでに週…

映像記憶

目の前の小さな交差点をゆっくりと左折していく車。私はその車を見るがゆっくりとはいえ車はすでに走り去っている。残像に集中して車のナンバーを読みとる。3-6-2-1と読むことができた。今回は直後だったので可能だったのだ。 映像をありありと記憶すること…

山本弘遺作展の展評(6)

「無頼画家・山本弘の死に急ぐ絵筆」by匿名 最初は16歳だった。以来、自殺を図ること6度。ベルトで首をくくり、猫イラズを飲み、ダムに飛び込む。青酸カリまで使った。しかしその度に生還。友人たちに「狂言」といわれると、その場で太股にナイフを突き立て…

活司命日

今日10月27日は久保田活司の20年目の祥月命日だ。活司は1歳下の高校の後輩。貧乏しながら小説を書いていた。小説現代の新人賞に応募していたが一度も入選しなかった。 文体が確立していたので、お前は大丈夫だよと言ったが、駄目だった。いわゆる戯作体の文…

山本弘に関するN先生からの私信

私の最も尊敬する画家N先生からいただいた手紙。 みゆき画廊から作品写真を預かって、私の手元に置いてから、もう大分たちました。 大兄の山本弘を思う気持ちは、たいへんに嬉しく思います。ひとりの人間の描いたものが、ただの一人でもいい、このように、心…

情報のわらしべ長者

上野の不忍通りあたりに警官が点々と並んでいることがある。 「どなたが通るのですか?」何人かの警官にこの質問をすると、一人くらい「は、陛下が」と答えてくれる。次の警官のところへ行って「陛下は何時頃通られるんですか?」と聞くと「3時頃です」と教…

「卒業」

大江健三郎の「キルプの軍団」に「卒業」と題する曲が掲載されている。作曲:大江光、作詞:光君の弟のオーちゃん、となっているけれど、エッセイかなにかで作詞は大江健三郎とのことだった。 詞がとてもいい。 1.今日で終わりということ 不思議な気がするね…

場所と記憶

上野の美術館へ行った時、秋葉原から山手線に乗り換えて上野駅で降りた。ホームから公園口の改札へエスカレーターを使って上った。エスカレーターに乗っている時不思議な幸福感に包まれた。いまどうしてここでこんな幸福感を感じるのか、そして分かった。 そ…

誤読

通勤電車の車内に貼られたポスター、そのキャッチコピーが、 「くりこ、さわらしてあげる」 何だ、これは? 「くりこして、さらにわけあえる DOCOMO」というのが正しい。ドコモのポスターだった。文字を読むとき、かたまりとして読んでそれを頭の中で組み立…

無言館の絵

「ちくま」2006年8月号に小林亜星がエッセイを書いている。題して「行ってきました。」 私も無言館に行ってきました。静かな上田の町はずれに、ひっそりと立つ。何処か遠い国の教会のような建物がそれでした。(中略) 部屋に足を踏み入れた瞬間、私は何か…

山本弘遺作展の展評(5)

「異色の画家・山本弘」by伊藤正大 「『風狂無頼』思い出展」という見出しの記事が、3月9日付けの信濃毎日新聞に載った。下伊那郡豊丘村生まれの洋画家・山本弘(1930ー81)の友人たちが、飯田市内の画廊で開いた回顧展の話だ。 山本弘は、造形美術学園(現…

作間敏宏のインスタレーション

初めて作間敏宏の作品を見たのは今はもうない大田区久が原のガレリア・キマイラでの個展だった。キマイラは閑静な住宅街の中にある現代美術の画廊で個人の家の一部を展示スペースにしている。 玄関を入ると目の前の壁面に5ワットほどの電球が100個ぐらい円盤…

山本弘遺作展の展評(4)

「自己存在の証としての画、山本弘展」by匿名(K) 風狂無頼の芸術家とはまた何ともなつかしい響きを感じさせる表現になってしまったことか。円熟完成型の作家より未完、無頼、夭折、そして破滅型の芸術家好きという小児病質が抜け切らないわれわれ日本の観…

百科事典としての新書

フッサールに「厳密な学としての哲学」という本がある。岩波から翻訳出版されて120ページほどの小さな単行本だ。これは百科事典の「哲学」の項目の記載として書かれたという。 〔以下ウィキペディアからの引用〕 百科事典の項目立てには、大雑把に分類すると…

山本弘遺作展の展評(3)

「山本弘遺作展」by匿名 チューブから出したばかりのような絵の具が盛り上がる画面は、中間色の淡さがありながら野獣派的な激情を発散させています。長野県飯田市に住み、50年代に日本アンデパンダン展などに出品しましたがしばしば死に直面し、その合間のわ…

平野薫のインスタレーション

昨日、東京都現代美術館で大竹伸郎展を見る。以前ここで開催された横尾忠則展を思い出した。パワフルなことと品の良くないことが共通する。どちらも好きになれない画家だ。 しかし大竹の回顧展を企画した都現代美術館は評価できる。 いつもながら常設展がと…

山本弘遺作展の展評(2)

「山本弘遺作展ー素描」byワシオトシヒコ 予科練習生として太平洋戦争の敗戦を迎え、1981年、51歳でやっと自殺願望を現実化した画家の軌跡はまさしく、破滅型そのものだった。一人の生活者として絶えずつきまとう喪失感、しかし、戦後から本格的に取り組んだ…

山本弘「泉」作者の心象としての湧水である

山本弘「泉」by瀬木慎一 「何気ない」というこころの状態があり、そうした状態で描かれる絵がある。 この一点の絵は、おそらく、その種のものだろう。意図して描いたのではなく、ある心の状態がこのように描かしめたにちがいない。 日本の画家に特有の画法と…

竹下通り

竹下通りがあるのになぜ田中通りや中曽根通りがないのだろう。

提案

TOTOとINAXへ 水洗便所の表記を「大」「小」から「多」「少」へ変更することを提案します。 「大小」が便種を表すのに対して「多少」は水量を表しますから。

山本弘遺作展の展評(1)

「山本弘遺作展ー風狂無頼の画家」ーby井関能雄 副題に〈風狂無頼〉とあるように、若かりしころの奔放なまでの生きざまのスタイルを終生変えることなく、ついにはアルコール中毒が引き金となって51歳の生涯を終えた、これまではまったく世に知られることのな…

「無頼の画家 山本弘の現代性」

1994年7月11日〜30日、東京・京橋の東邦画廊で東京で初めての山本弘遺作展が開催され、読売新聞(担当:芥川喜好記者)が針生一郎さんに山本弘に関する寄稿を求め、7月28日の夕刊に掲載された。以下その全文。 山本弘という13年前に51歳で亡くなった画家の遺…

SM趣味

SM趣味がよく分からなかった。 以前電車に乗った時、隣でつり革に掴まっている若い女性がノースリーブだった。何と脇毛がもさもさ生えているのが見えた。 うわあ、いいものを見た! と思った時、彼女が私を見た。恥ずかしがって脇を隠すのかと思ったら、フン…

茂木健一郎

茂木健一郎「脳と仮想」(新潮社)を読む。 クオリア(質感)と仮想という言葉以外、やさしい日常語で新しい認識論を語っている。フッサールやメルロ=ポンティを楽々と乗り越えて。 天文学が哲学の宇宙論に取って代わったように、認知科学が認識論に代わり…

合掌の法則

両手を合掌の形に合わせます。これを正しい形とします。 合掌の形から人差し指を少しずらします。合掌の形はちょっと崩れましたが、これは簡単に直せます。大きな誤りではなかったのです。 次に右手の甲に左手の掌を重ねます。一見合掌の形に似ています。 で…

小島ゆかりが紹介する池永陽「少年時代」(双葉社)

「それが、伊藤さんの乳房の感覚よ」 いわれてみれば、そう感じられないこともなかった。手のひらにあたる風の塊は、女性の乳房そのものの感触といえた。達夫は小夜子の顔を凝視しながら、その感触を手のひら一杯で感じとった。良平の友人達夫の家は、民宿の…

柳森神社

千代田区神田須田町辺りを歩いていたら柳森神社があった。古い割には小さな小さな神社。神様に挨拶すべく参拝する。境内を見ると桜の木に名札が吊してあって「御衣黄」(ギョイコウ)と書かれている。 こんなところに御衣黄がある。来春は薄緑色の地味で変わ…

丸谷才一による吉田秀和と小林秀雄

朝日新聞に連載している「袖のボタン」で丸谷才一が書いています。(2004.11.9) この11月で「吉田秀和全集」全24巻が完結する。それをわたしは全集23「音楽の時間V」で知ったのだが、この千秋楽は現代日本文化にとって特筆すべき事件だと思った。生前の個人…

椎名其二

野見山暁治の「四百字のデッサン」(河出文庫)に椎名其二が紹介されている。「マビヨン通りー椎名其二」「椎名さんの借金ー森有正」あわせてわずか23ページ。 その分量で私たちは椎名其二について十分に知ることができる。忘れられない人となる。 20世紀の…