「自己存在の証としての画、山本弘展」by匿名(K)
風狂無頼の芸術家とはまた何ともなつかしい響きを感じさせる表現になってしまったことか。円熟完成型の作家より未完、無頼、夭折、そして破滅型の芸術家好きという小児病質が抜け切らないわれわれ日本の観賞風土にあって、この種の作家は一歩はなれて見すえなければ……そんな気持ちを持ちつつ、針生一郎氏推せんというこの作家の遺作展に足を向けた。
13年前51歳で亡くなったというこの洋画家、確かに幸福な絵づくりという地点からは遙かに遠い所でキャンバスに向かっていたのだろう。この世に生を受け、ただひとつ自己存在の証しを託させるものとして向かい合ったキャンバス。具象心象ないまぜとなった画面からは平成ボケとなったわれわれの脳髄にパシッと渇を入れるかのパワーが伝わってくる。
重い画面を見つめつつ、ああ、このように自らのためにのみ描き、没していったわたしたちの知らぬ幾多の画家がいるのだろうかーーふとそんな感慨にとらわれた。
(「月刊美術」1994年9月号)