芥川喜好『時の余白に 続』を読む

 芥川喜好『時の余白に 続』(みすず書房)を読む。芥川は1948年長野県飯田市生まれの東京育ち。早稲田大学を卒業し、読売新聞社へ入社。水戸支局を経て東京本社文化部で美術展評、日曜版美術連載企画などを担当と著者略歴にある。
 本書は毎月1回読売新聞に連載したエッセイ「時の余白に」の2011年10月から2017年12月までの分をまとめたもの。2012年には前著『時の余白に』を出版している。
 芥川の姿勢はいつもハイライトが当たっているものや内実を伴わない派手なものを避け、目立たないが優れたものや地味な作家などを好んで取り上げている。マイナー好みの私の志向と整合的だ。本書で取り上げている人の一部をひろってみる。
 日展に反旗を翻した中村正義、95歳で初来日したピアニストホルショフスキーハンセン病患者などを大きな鉛筆画で描いた木下晋、橋本雅邦門下生で大観、観山、春草の仲間でありながらそこから追われた西郷孤月、何十メートルもの砂の絵を描き続ける松尾多英文化勲章を断った反骨の画家熊谷守一深夜叢書社の社主齋藤慎爾、美術評論家針生一郎、自分の建築にある原罪意識を持っていた村野藤吾、みゆき画廊の加賀谷澄江、若冲より蕪村を推す、放浪の画家の正系につらなる堀越千秋……。
 中村正義の項で、

 43歳で大手術を受けたころの「正義不在」という書の作品があります。せいぎ、と読めば意味は明白。まさよし、と読めば自分の消えた世への危惧にも似た彼の思いがくみとれます。いまの芸術院を見ると、文芸部門はおおむね順当な顔ぶれですが、美術部門は相かわらずよく分からない、功績顕著な人と功績不明な人が入りまじっている。むろん正義は、芸術院のあり方を一典型として日本という人間の集団そのものの体質を問うていたのです。

 美術評論家針生一郎の項で、2015年に宮城県美術館で開かれた「針生一郎と戦後美術」展に触れ、

 展覧会は、彼が思想、表現に目ざめ、やがて戦後絵画に出会い、前衛芸術運動に加わり……という軌跡を、12の章、260点もの絵画、彫刻、立体、資料類でたどります。既成画壇のものはありません。
 一人の評論家がこれほど多くの人と作品を呼び寄せる事態に驚きます。たとえば、ルポルタージュ絵画と呼ばれた新しい具象の試み。日本画絵の具の可能性を因習から解き放とうとした「これが日本画だ!」展。あるいは、大阪万博を大資本と権力による国家戦略とみて、真っ向から対決した「反博」運動。遠い昔の話というより、今もなお歴史の表層近くでうごめいているような生々しさを覚えます。

 針生さんにはわが師山本弘に関して大きな恩恵を受けた。およそ権威に媚びることの対極にある人だった。表現が優れていた美術評論家だった。山本弘について、「晩年は奔放な筆触や色塊のせめぎあう抽象化された画面に、イメージが胎生する瀬戸際をねらっているようだ」と書いてくれた。これ以上的確な評があるだろうか!
 ホルショフスキーの名前がでてきて驚いた。私も彼のCDを2枚持っている。



時の余白に 続

時の余白に 続