山本弘に関して何人もの評論家や新聞雑誌記者が語ってくれたが、ダントツに優れていたのは針生一郎さんだったと思う。海外の新しい美術潮流や運動に関しては中原佑介や東野芳明の方が適任だったかもしれないが、絵画を見る眼は針生さんがダントツだった。
山本弘に関して針生さんはこう書いた。
……初期の暗鬱な色調をもつ写実的な画風から、しだいに形態の単純化と色彩の対照による内面の表出へと転換する。とりわけ注目されるのは、生活が荒廃しても、体力が衰えても、絵画の質の高さは失われないことである。晩年はむしろ、非具象ともいえる奔放な筆触と色塊のせめぎあいのうちに、極限まで凝縮されたイメージがあらわれる瞬間をとらえようとしている。
また最初に未亡人宅で遺作を見た折に、早くもフォートリエの影響を指摘していた。私はそのことを失念していたが、これこそ山本弘を決定づけるものではなかったか。フォートリエの影響という視点から見ると、山本の晩年の不思議な仕事がよく理解できる。
もう一点は、これも口頭で、山本は象徴派だねと言われたことだ。
「流木」
「流木」という作品がある。赤い平面の中に白い棒状のものが描かれている。周囲は黒が塗られている。この絵について娘の湘さんが、当時の7歳の記憶を教えてくれた。
あの葉書の絵には父との思い出がありはっきりと覚えています。
父はいつも作品ができあがると、必ず私をよんで乾かぬ絵を真っ先にみせて私に感想をきいていました。私はこの流木の絵とあと2点の感想をきかれ、またいつもながらにこどもらしからぬ感想を言っていました。流木の絵を指さし、私はこの絵は好き、赤がとてもきれい、血がながれているみたい…。父は今までにないほど満面の笑みを浮かべて、心から嬉しそうでした。何故それほど(?) 今でもわかりませんが、歯の抜けた父の笑顔が今でもやきついています。
つまり、これは己の人生を血の川を流されている流木に見立てているのだろう。白い流木が、流されていく画家の骸骨なのだろう。
「銀杏」
また、「銀杏」は夜の公園にすっと立つイチョウの幹を描いている。奥村土牛の華やかな醍醐寺の桜の絵の構図を引用して、夜の暗い中に孤独にしかしきっぱりと屹立しているような銀杏の太い幹を描いている。自分の人生は少しも華やかなところはなく、むしろそれとは遠いところにあるが、このように自立しているのだと強く自己肯定している絵だ。
このような作品はほかにも多い。針生さんの慧眼に恐れ入るものだ。