山本弘に影響を与えた画家

 私が初めて山本弘に会ったとき、山本は37歳だった。その時山本が好きだと言った画家は、モジリアニ、スーチン、ゴッホ、そして長谷川利行だった。長谷川については豊橋に住む友人の画家山本鉄男にもらったという分厚い画集を持っていた。後日東京ステーションギャラリー長谷川利行展を見たとき、山本が参照したに違いないと思われる作品がいくつもあった。
 山本は51歳で亡くなったが、実質的に描き続けたのはほぼ48歳までだった。最初に会ったとき、上記の4人の画家の名前をあげてくれたが、その後亡くなるまで会っても改めて好きな画家について話したことはなかった。
 亡くなってからもう40年近くなる。山本の絵を見続けてきて徐々に気付いてきたこともある。晩年には長谷川利行の影響は限定的になってきている。むしろフォートリエの影響が強いように思う。山本の情報源は『芸術新潮』を図書館で見ることに限られていたのではないか。

f:id:mmpolo:20200529221231j:plain

フォートリエ「人質の頭部」

 フォートリエに「人質の頭部」という有名な作品がある。これはフォートリエを語るときにしばしば引用される作品だ。おそらく『芸術新潮』にも掲載されたことがあるだろう。山本はこの作品を雑誌で見たのではないか。「人質の頭部」では顔の部分を厚塗りにしていて、周囲は薄塗りだ。晩年の山本の作品に同じように造形している作品が何度も現れる。
 また山本の作品『塀』に典型的に表れているように、子供の落書きをそのままなぞったような造形がある。これはデュビュッフェの影響に違いないだろう。
 山本は、抽象には熱い抽象と冷たい抽象がある。自分は熱い抽象だと言っていた。また自分のはタシスムだとも。だから山本がフォートリエ、デュビュッフェなどアンフォルメルの画家たちに親近感を持っていたのは事実だろう。
 山本が40歳ころに語った話で、当時山本の属す飯田リアリズム美術家集団(リア美)にケーテ・コルヴィッツを熱く語る仲間がいた。コルヴィッツと山本に近縁関係はないように見えるが、自分は以前からコルヴィッツには注目していたんだと言っていた。東京を遠く離れて、長野県のさらに片隅の飯田市で、お金のない山本はせいぜい飯田市内や当時住んでいた上郷町の図書館で情報を収集するしかなかったのだろう。同じような興味を抱く仲間もなかったのではないか。そんな環境において山本はよく勉強していた。理論ではなく、実作品から直接に運動の本質をつかみ取っていたと思うのだ。

 

 

mmpolo.hatenadiary.com