ハルノ宵子『隆明だもの』(晶文社)を読む。ハルノ宵子は漫画家で吉本隆明の長女、本書は晶文社の『吉本隆明全集』の月報にハルノが書いたのをまとめたもの。それに妹の作家吉本ばななとの姉妹対談などを併せて編集している。あの大思想家にして詩人の吉本隆明の家庭人としての姿を描いている。それは敬愛する人の家庭を覗き見するような思索の秘密を探るような興味深いエッセイだった。
吉本隆明は大学教授などの定期収入のある職には就かなかったし、講演も主催者側の“言い値”で引き受けるので、講演料は自腹で遠方まで出向いても、5万円とかテレカ1枚の時もあった。収入の主たる印税は、新刊が年に2、3冊程度、初版が6000部程度、仮に1冊2000円の本で印税が10%として120万円が入る。基本年収は数百万円だったとのこと。
ハルノ宵子が生まれた頃、吉本一家は駒込林町に住んでいた。その後上野の仲御徒町に住んだ。上野松坂屋の裏手だという。ばななが生まれたのは谷中初音町、その後は田端の高台、以上すべてアパートや借家だった。初めての持ち家が千駄木、そして本駒込の吉祥寺には1980年に引っ越した。どちらも借地だった。この吉祥寺の家が吉本隆明の最後の家となった。
さて、私はハルノ宵子のエッセイを吉本の家族を覗き見するように読んだのだが、現在『ちくま』に吉本隆明論を連載中の鹿島茂は、本書から『共同幻想論』の対幻想を吉本が発想した元を抉り出す(2024年7月号)。
吉本は、大学受験を控えたばななを夜な夜な連れ出して遊んでいた姉のハルノについて、ばななに「お姉ちゃんは妹に、自分よりいい大学に入られるとイヤだから、嫉妬して(勉強できないよう)連れ回してんだから気をつけろ」と言ったという。このほかハルノは吉本が案外嫉妬深かったエピソードを挙げている。鹿島は、吉本は嫉妬深かったのではなく、「嫉妬という感情の重要性を認識していた」と指摘する。
吉本は『共同幻想論』で、エンゲルスの集団婚の成立についての説明に反論を加えている。
人間は歴史的などの時期でも、かつて男・女として〈嫉妬〉感情から全く解放されたことなどはなかったのである。せいぜいうぶな男(雄)のほうが、さんざん女遊びをやっている遊治郎より異性に対する〈嫉妬〉感情は大きいという事実が眼のまえにみられるだけである」(母性論)
ここで、嫉妬に狂う「うぶな男」というのは、知人の妻であった荒井和子と出会って三角関係に陥って苦しむ若き日の吉本自身、つまり「うぶな男であった吉本自身」の投影であると見なすべきであり、また、それとの対比でより嫉妬の感情が低いとされる「さんざん女遊びをやっている遊治郎」とは『荒地』同人だった田村隆一、あるいは鮎川信夫などではないかという推測が充分に成り立つと鹿島は言う。いかえれば、吉本は自らの体験から割り出して、エンゲルスに強く反論しているということになると鹿島は断言する。
対幻想という観念は、吉本の個人史の反映、とりわけ嫉妬感情というものの分析結果からもたらされた部分が大きかったのだと。
鹿島茂の『ちくま』での連載はもう6年にも及んでいる。そろそろ吉本隆明論も完結するのだろう。単行本になるのが楽しみだ。