吉本隆明『際限のない詩魂』を読む

 吉本隆明『際限のない詩魂』(思潮社 詩の森文庫)を読む。副題が「わが出会いの詩人たち」で、斎藤茂吉から中島みゆきまで22人の詩人たちが紹介されている。萩原朔太郎のように本格的な詩人論から、永瀬清子や中村稔、諏訪優、岸上大作のように、帯や内容見本の宣伝文など長短さまざまだ。しかし、どれもさすが吉本隆明だと納得させる。評論においても詩作においても一流の人だ。

 「萩原朔太郎――その世界」より、

 

(……)朔太郎の芸術論は、大著『詩の原理』において文学理論として集大成される。すでに触れるべき余裕がないが、『詩の原理』は漱石の『文学論』とともに、日本の近代文学史がうんだもっともすぐれた文学原論の書であり、いまなおこえることは容易なわざではないのである。

 

 「折口の詩」から、

 

 折口(信夫)の詩は、学問的な業績や歌業にくらべたら、いちばん拙いものである。近体の詩の歴史の傍に異様な黒衣をまとって佇んでいるといった以上の評価をあたえることは、とてもできそうもない。ただ「釋」を名のっても、心に乞食の風態を装ってみせても、みじめに肉親にうとまれた幼児を、自虐によってかえりみても、折口がじぶんを神話的な英雄に擬して、その自己同一化を詩につくり、生涯を貫いたことは変らなかった。

 

 秋山清について「抵抗詩」で、

 

抵抗詩人と呼べるべき詩人は、金子光晴秋山清の外には、いない。戦争謳歌の作品も公表し、戦争に無関係な詩もかいた詩人など問題にならない。まして、やきとり屋や浅草の遊び場で、私的に反戦的言辞をロウしながら、堂々たる戦争賛歌を本心から公表した詩人などを、抵抗したなどと評価するのは、馬鹿者にかぎるのである。

(中略)

わたしはなによりも太平洋戦争の真只中にあった頃、日本の詩的な抵抗の実体とは、どのようなものであるかを、如実に典型的に示している点で秋山清の戦争期の詩にとくに親愛を感ずる。今日の読者は、秋山清の戦争期の詩から抵抗を感知するだろうか、戦争への傾斜を感知するだろうか、わたしは、その何れをも感知した上で、敢て、これらの詩篇が、金子光晴の業績とともに、日本の誌的抵抗の最高の達成に外ならなかったという事実が、追尋されてゆくことを願わずにはおられない。戦後になってから「おれは抵抗した」などと称している文学者のコトバのことごとくは、それを額面通りに受け取る必要なないことを、わたしは、断言してもよい。彼等の称する抵抗の如きは、戦争を謳歌しながら、心のすみっこにつもっていた不満の類を拡大再評価しているに過ぎない。

 

 続けて書く、

 

「おやしらず」の作品は、太平洋戦争期の日本の現代詩のなかでも、屈指の逸品であるが、秋山清の全作品のなかでも秀作の一つであることを失わない。秋山は、もともと視覚型の詩人だが、この詩では秋山の視覚が鋭い焦点を結ぶことに成功し、その焦点からは心情の統一されたイメージが鮮やかに浮び上ってきている。その心情のイメージは最後の「茫として沖がみえぬ。」ということに帰結する。もちろん、この一句を、比喩のように解して、戦争の行方と大衆の行方は、どこへゆくのだろうか、という作者の感慨にすりかえれば、誤解にちかくなるが、秋山は、「親しらず」のあたりを通りながら、叙景をやっているにすぎないにもかかわらず、様々な解釈可能性を提出することに成功している。その「モチーフ」は、「親しらず」という特異な地名から触発された、「われはわが行方と来歴を知らず」という戦争期の暗い心情の表現にある。このとき、あきらかに秋山は、叙景しながら現実の動乱の行方をおもっていることがわかる。

 

 その秋山清の「おやしらず」を下に引く。

 

おやしらず

 

 

夜がしらしらにあけると

ここは越後の国おやしらず。

汽車は海にせまる山壁に息はきかけて走り

人のいない崖下の海岸に

しろい波がくだけている。

あとからあとからとよせてきて

くだけている。

なんというさびしげな名前だろう、

「親しらず」とは。

がらす窓に

ちいさな雨となってふる霧は

日本海のそらと海とをおおい

茫として沖がみえぬ。