吉本隆明『追悼私記 完全版』(講談社文芸文庫)を読む。吉本が「あとがき」で書いている。
……もしこれらの追悼の文章に共通項があるとしたら、死を契機にして書かれた掌篇の人間論というほかないということだ。
43人、50篇の追悼文が載っている。1人に2篇書いたのもあるからこの数字になる。江藤淳、美空ひばり、手塚治虫、昭和天皇、ミシェル・フーコー、サルトル、三島由紀夫などがある。
大原富枝について、「作品と人柄の存在感の両面から、わたしの最も好きな女性の作家だった」と書く。『婉という女』と、イエスの方舟事件をモデルにした『アブラハムの幕舎』をとても高く評価している。
江藤淳を高く評価しているのも意外だった。「現在の日本で最大の文芸批評家だったと思う」とまで言っている。江藤は奥さんを亡くした後自殺している。そのことの理由を吉本は考え、何ページも費やしている。
中上健次について、「被差別と差別の問題は中上健次の文学によって理念としては終ってしまった。あとは現実が彼の文学のあとを追うだけだ」と結んでいる。
三浦つとむについては告別式での弔辞と、その後対談形式で24ページも書いている。三浦とは雑誌『試行』の協力者だったと記して、「村上一郎や谷川雁には、油断もスキもありあしないという面があったが、三浦つとむにはそれはまったくなくて、気が楽だった」と。
鮎川信夫は「荒地」の仲間で先輩だった。戦後の優れた詩人を3人あげろと言われたら、私だったら鮎川信夫、田村隆一、吉本隆明をあげるだろう。鮎川に対して吉本は「貴方の死と一緒に、戦後詩の偉大な時代が確かに終わりました」と書く。
ミシェル・フーコーの死について、「現存する世界最大の思想家の死であった」と、その追悼文を始めている。そして、
わたしたちはフーコーに、ロシア的なマルクス主義とまったく独立に、はじめて世界を認識する方法を見つけだした思想家をみて、心を動かされ、その展開を見つめてきた。だが、勝手な思いこみをいわしてもらえば、フーコーは自分の啓示した世界認識の方法の意味の大きさを、じぶんでおそれるかのように、個別的な分野の具体的な歴史の追及に転じたようにおもわれる。かれのあとに、ロシア的なマルクス主義に張りあう力をもち、それにまったく独立な世界認識の方法を見つけだすことはできない。あるのはたくさんの思想の断片だけだ。
小林秀雄への追悼文も24ページもある。その最後は小林秀雄の『本居宣長』を論じている。
……なぜ本居宣長なのか。かれは漢字の表意文字や表音文字を象形として、「眺め」たり、音声として「聞い」たりということを、ただひとつの直感的な武器として、わが古典の世界にわけ入り、すぐれた学問的な業績と、勧善懲悪的な効用論から自立した文学論と、愚かな民族思想に同時に到達した巨匠だったからだ。本居宣長の像は、小林秀雄の自画像であり、本居宣長の直感的な武器は小林秀雄の批評の方法の自画像にあたっている。
竹内好の死については、吉本が紹介して日本医大に入院したこと、その入院が無駄だったと批判されていることに対して吉本が強く反発している。本書を初めて読んだのは単行本が出版された25年ほど前だったが、このエピソードをよく憶えていたのは自分でも驚いた。なぜだったのだろう。
三島由紀夫に対しては2篇、26ページも費やしている。
岸上大作に対する追悼がやさしく切ない。岸上大作の歌集『意思表示』(白玉書房)の帯の文。
詩人岸上大作の短い生涯の詩は、日本の過渡期が、どんなに深く過酷であるかを鏡のように映している。岸上君はみずから鏡を破り、わたしたちの鏡は撓む。
最後に吉本隆明の長女ハルノ宵子が「著者に代わって読者へ」という文章を載せている。この本に登場する作家たちの個人的な思い出が書かれていてとても気持ち良い。