「現代詩読本」特装版『さよなら 鮎川信夫』を読む

 「現代詩読本」特装版『さよなら 鮎川信夫』(思潮社)を読む。鮎川信夫は1986年10月に自宅で倒れて亡くなった。66歳だった。『現代詩読本』に追悼号が組まれ、50人以上が寄稿した。さらに鮎川の詩から代表詩が3人(北村太郎、長谷川龍生、北川透)によって63編選ばれ、評論も9編が選ばれている。鮎川は戦後現れた代表的な現代詩人で「荒地」グループの代表ともいえる人。日本の現代詩でも最高の詩人の一人といえるだろう。ほかに鮎川に肩を並べるのは、田村隆一吉本隆明谷川雁あたりではないか。
 北村、長谷川、北川が選んだ63編のうち、3人がともに選んだのが7編、2人が選んだのが14編だった。その3人が選んだ7編は、「死んだ男」「アメリカ」「繋船ホテルの朝の歌」「橋上の人」「兵士の歌」「必敗者」だ。とくに「死んだ男」や「橋上の人」などは代表作だろう。

死んだ男


たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
――これがすべての始まりである。


ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、
ゆがんだ顔をもてあましたり
手紙の封筒を裏返すようなことがあった。
「実際は、影も、形もない?」
――死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった。


Mよ、昨日のひややかな青空が
剃刀の刃にいつまでも残っているね。
だがぼくは、何時何処で
きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
短かかった黄金時代――
活字の置き換えや神様ごっこ――
「それがぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて……


いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
「淋しさの中に落葉がふる」
その声は人影へ、そして街へ、
黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。


埋葬の日は、言葉もなく
立ち会う者もなかった
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空にむかって眼をあげ
きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。
「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

 変な詩もある。

Who I am


まず男だ
これは間違いない


貧乏人の息子で
大学を中退し職歴はほとんどなく
軍歴は傷痍期間を入れて約二年半ほど
現在各種年鑑によれば詩人ということになっている


不動産なし
貯金は定期普通預金合わせて七百万に足りない
月々の出費は切りつめて約六十万
これではいつも火の車だ


(中略)


世上がたりに打明ければ
一緒に寝た女の数は
記憶にあるものだけで百六十人
千人斬りとか五千人枕とかにくらべたら
ものの数ではないかもしれないが
一体一体に入魂の秘術をつくしてきたのだ
(後略)

 詩を選んだ3人が鮎川について語っている。その中で、鮎川が吉田満の『戦艦大和ノ最後』を評価していなかったと北川が紹介している。「あの書物そのものがプロの書き手でない、あんなものはたいした文章じゃないのにやたら誉められるのは分からない」と言っていたと。
 先にも書いたが、戦後最高の詩人は、鮎川に田村隆一吉本隆明谷川雁あたりではないか。ところが現在筑摩書房から刊行されている、池澤夏樹=個人編集『日本文学全集』全30巻では、「近現代詩歌」が、詩を池澤が選び、短歌を穂村弘、俳句を小澤實が選んでいて、その池澤は鮎川も田村も吉本も選んでいない。その代わり「荒地」の中からは北村太郎を選び、ほかに池澤と池澤の父福永武彦を選んでいる。不思議な選択だ。
 鮎川が亡くなって31年、忘れられつつあるということなのだろうか。



さよなら鮎川信夫 (特装版現代詩読本)

さよなら鮎川信夫 (特装版現代詩読本)