『小林秀雄 江藤淳 全対話』(中公文庫)を読む。17年間に行った5回の対談を網羅したもの。文庫オリジナルという。
一応日本を代表する知性の対談で楽しみにして読んだが、柄谷行人の濃密な対談を読んだ後では、慣れ合った二人のスカスカの雑談を読まされているような気分だった。江藤は小林の30歳年下だから、終始へりくだっていて、まともな対話にならない。唯一、対立したのが三島由紀夫事件だったという。解説の平山周吉が書く。
……二人は常に緊張を孕んで対峙していた。その緊張が極限に達したのが昭和46年(1971)の「歴史について」である。後々まで文壇の語り草になる“決闘シーン”は、三島由紀夫の死をめぐる評価の大きな分裂であった。「三島君の悲劇も日本にしかおきえない」「三島事件は三島さんに早い老年がきた。老年といってあたらなければ一種の病気でしょう」「日本の歴史を病気というか。それなら吉田松陰は病気か」。いま活字で読んでも息詰まる宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島である。
その“決闘シーン”とは、
小林 (……)三島君の悲劇も日本にしかおきえないものでしょうが、外国人にはなかなかわかりにくい事件でしょう。
江藤 そうでしょうか。三島事件は三島さんに早い老年がきた、というようなものじゃないんですか。
小林 いや、それは違うでしょう。
江藤 じゃあれは何ですか。老年といってあたらなければ一種の病気でしょう。
小林 あなた、病気というけどな、日本の歴史を病気というか。
江藤 日本の歴史を病気とは、もちろん言いませんけど、三島さんのあれは病気じゃないですか。病気じゃなくて、もっとほかに意味があるんですか。
小林 いやア、そんなこというけどな、それなら吉田松陰は病気か。
小林 日本的事件という意味では同じだ。僕はそう思うんだ。堺事件にしたってそうです。
江藤 ちょっと、そこがよくわからないんですが。吉田松陰はわかるつもりです。堺事件もそれなりにわかるような気がしますけれども……。
小林 合理的なものはなんにもありません。ああいうことがあそこで起こったということですよ。
江藤 ぼくの印象を申し上げますと、三島事件はむしろ非常に合理的、かつ人工的な感じが強くて、今にいたるまであまりリアリティが感じられません。吉田松陰とはだいぶ違うと思います。たいした歴史の事件だとは思えないし、いわんや歴史を進展させているなどとはまったく思えませんね。
小林 いえ。ぜんぜんそうではない。三島は、ずいぶん希望したでしょう。松陰もいっぱい希望して、最後、ああなるとは、絶対思わなかったですね。
三島の場合はあのときに、よしッ、と、みな立ったかもわかりません。そしてあいつは腹を切るの、よしたかもしれません。それはわかりません。
江藤 立とうが、立つまいが……?
小林 うん。
江藤 そうですか。
小林 ああいうことは、わざわざいろんなことを思うことはないんじゃないの。歴史というものは、あんなものの連続ですよ。子供だって、女の子だって、くやしくて、つらいことだって、みんなやっていることですよ。みんな、腹切ってますよ。
江藤 子供や女の、くやしさやつらさが、やはり歴史を進展させているとおっしゃるのなら、そこのところは納得できるような気がします。だって希望するといえば、偉い人たちばかりではない。名もない女も、匹夫や子供も、みんなやはり熱烈に希望していますもの。
小林 まア、人間というものは、たいしてよくなりませんよ。
江藤 それはそうです。
決闘シーンなんかではなくて、せいぜいじゃんけんか狐拳程度にしか見えないけど……