夭折の霊か初蝶地を慕う
墓までの遠き道辺の姫女苑
家重し七耀歩む蝸牛
大夕立人は魚となりて跳ね
眠られぬ夜はまず風鈴を眠らせる
秋燕の並みて越ゆべき海を見る
コスモスの背き合いつつみなやさし
血の色に昇るもやがて名月に
触れられて触れて芒の道を行く
無花果を木に愛で夕べそれを食ぶ
鳥の体通過(とお)りてここにも実南天
石の街に小さき土得て冬菫
奥付を見ると、発行者:吉本多子/吉本真秀子とあり、発行所は七耀企画、発売元:深夜叢書社となっている。吉本多子は漫画家ハルノ宵子、吉本真秀子は作家吉本ばななで、著者吉本和子は吉本隆明夫人だ。本書は娘姉妹による母の句集の自費出版となる。
ハルノ宵子『隆明だもの』(晶文社)に母親の句作についてのエピソードが紹介されている。
母は結婚する時、父から「もしあなたが表現者を志しているのだったら、別れたほうがいいと思う」。と言われ、それまで書いていた小説をやめた。一家に2人表現者がいたら、家庭は成り立たないということだ。
和子が最初の句集『寒冷前線』を出版したときも隆明は手に取らなかった。第2句集『七耀』も見ることはなかった。
2007年、とある地方の同人誌から依頼され、母は数句を投句した。ある日、母はさりげなくその同人誌を「ほら、読んでみて」と、父に手渡した。意外にも父は素直に受け取り、(その頃にはかなり眼が見えなくなっていたので)拡大鏡で時間をかけてそれを読んだ。そして「フフン、お母ちゃんもいっぱしの俳人になったじゃないか」。と、同人誌を母に返した。
しかしその時を境に母は壊れた――と、私は思っている。心身共に…つまりオリンピックで金メダルを取った選手が、目標を達してモチベーションを失ったかのように、私には思えた。その後だって、もちろん句作は続けていたし秀作ではあるが、以前の“ひらめき”のようなものは失われた。(中略)
父に“表現者”として認めさせた時点で、母の目標は達成されたのだ。(中略)
父が認めた句の中で、最高峰だと思っているのがこの句だ。
あとがきは海市の辺より速達で
巻末の解説で深夜叢書社の齋藤慎爾が絶賛している。これは過褒ではないかと思ったら、和子に句作を指導したのが齋藤慎爾だった。
