亀戸の石井神社が朝日新聞で紹介されている

 朝日新聞のコラム「マダニャイとことこ散歩旅」で東京亀戸の石井神社が取り上げられている(2019年7月11日夕刊)。

 神社の奉賛会「おしゃもじ会」の・・会長は「地元では、おしゃもじ様と呼ばれているんです」。神社の歴史は古く、平安時代の811年に弘法大師により発現したとされる。石棒をまつっていたため「石神(せきじん)」と伝えられ、諸説あるものの、その音が「シャクシ」「シャモジ」となったという。
 「せきの病を治す」と信仰されている(後略)

 この石井神社は私も紹介したことがある。
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石井神社

 亀戸近辺を自転車で走っていたら小さな社があった。挨拶をして行こうと立ち寄ると石井神社という名前だった。以前勤めていた会社の石井さんが、亀戸にぼくの名字の神社があってお詣りしてきたよと言っていたのを思い出した。とても小さな神社だと言っていたが、全くそのとおりだった。
 参拝して、印刷した紙が掲示されていたので見ると神社縁起だった。それを読んで驚いた。

当社は祭神、級長彦命(シナツヒコノミコト)、凡象女命(ミツハノメノミコト)、津長井命(ツナガイノミコト)をまつり、9月28日を例祭としている。俗に「おしゃもじ稲荷」とよび、咳の病をなおす神として信仰され、神社からおしゃもじ(飯杓子)1本をかりてきて、自宅でこれを神体として拝み、病が治ればお礼に新しい飯杓子1本を添えて、もとの飯杓子とともに2本を神社に返す。当社は石器時代の石棒を神体としたが、いまでも石棒を神体とする神祠は各所に存在する。例えば
  練馬区石神井四丁目   石神井神社
  葛飾区立石八丁目44   熊野神社
  豊島区西巣鴨四丁目8  正法院の石神
  板橋区仲宿28      文殊院の石神
などがある。
 鳥居竜蔵博士は、亀戸に石棒をまつる神社のあったことは、他の例からみて亀戸が石器時代から存在していたと述べている。

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元禄の頃出版した「江戸鹿子」を見ると、亀戸に石神社(いまの石井神社)と云うのがあって、同書は高台にある石棒を祭ってある同神社と共に記して居ります。(中略)亀戸の石棒に対して面白いのは、吾妻の森から北の方、中川に接した立石村に熊野神社があって、此処に石棒を祭っていることです。私は此の立石の石棒も亀戸の石棒と共に、すでに其の時代から其処にあったものと思われます。(鳥居竜蔵書「武蔵野及其周囲」)。

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 飯杓子を奉納する神社は、石棒を神体とすることが普通であるが、これは石棒を祭る神社を石神(しゃくじん)とよび、「しゃくじん」が「しゃくし」となり、飯杓子を奉納することになった。また石神を「せきしん」とよぶこともあって、「せき」が咳の病と同音であるから咳の神にもなった。
 当社は、昭和20年の戦災で、社殿を焼失し、いまは小祠となっている。当社の飯杓子奉納のことは、文政三年(1820)刊行の、大石千引著「野万舎随筆」に、

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咳神(せきがみ)、葛飾の亀戸村に、オシャモジという神の祠有り、神前に杓子を夥しくつめり、依って其故よしを土人に問けるに、咳病を煩う人、此神に願たてぬれば、さはやぐ事すみやかなり。此故に報賽に杓子を奉納するといへり。

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と述べ、その由来の古いことがわかる。

 石井神社=石神=しゃくじんなら、石神井つまりミシャグジ信仰ではないか。それならやはり縄文時代にさかのぼる神社だろう。ミシャグジ信仰については、Wikipediaに詳しく書かれているが、諏訪大社の信仰と関係が深いだろう。祭神が石というのも金属器以前の文化、縄文期の信仰だろう。
 近くには、これも古い吾嬬神社があるし。
 亀戸石井神社の住所は、東京都江東区亀戸4-37-13。JR総武線亀戸駅から北へ徒歩10分ほど。住宅地の中にあってちょっと分かりづらい。太平洋戦争の空襲で焼け、昭和40年に再建されたと石碑に書かれている。再建されたが、とても小さいのだ。