関川夏央『昭和時代回想』(中公文庫)を読む。副題が「私説昭和史3」で、これが面白かった。
「平凡パンチ」創刊号は1964年4月だったと関川は書く。
5人の青年がそこにいる。5人のうち4人は立っている。残ったひとりは左ハンドルのスポーツカーに乗っている。全員、アイビーリーガーズのスタイルである。細身みじかめのコットンパンツにボタンタウンのシャツ、やっぱり細くてみじかいネクタイを締め、やわらかな革の軽い靴をはいている。髪はとてもみじかい。それを整髪料で7・3か8・2に分けて、ぴったり固めている。分け目は定規ではかったようにまっすぐだ。ヴィレッジ・シンガーズという、いまならミソギをしてからでなくては恥ずかしくてとても聞けない学生演歌のグループを思い出してもらいたい。60年代なかばから頭の内外ともにアイビーのまま、ついに進歩とか進化という言葉とは縁がなかった加山雄三でもいい。その頃、全国の路上を石津謙介という神がさまよい歩き、VANやJUNと記された護符をばらまいていたのである。
湘南には頭の内外ともにアイビーの加山雄三の銅像が立っているという。ブルーコメッツというこれまた思い出しても恥ずかしいグループもいた。
普通の会社では、できる人、並みの人、働かない人の割合がそれぞれ1対2対7だという。7は、しかし、愚者とは限らない。会社員的才能を持たず、あるいは会社世界に必ずしも適応しない人も少なくなくて、彼らは会社とは別の場所に希望を持ち生命力を注いでいる。逆にこの割合でこそ会社はつつがなく回るのであって、全員ができる会社など想像するだに恐ろしい。
ところが大学には、このうちの並みの人、業績はないが教えることに向いている人の割合が俗世間に比べて少なすぎるのである。その反面いったいなんの根拠があるのかむやみな自信家が多すぎるのである。
昭和ひと桁のひとびとはより多く死と親しんでいる。それはおもに疫痢など幼児期の感染症や若年期の結核による。
「もう少し人間の運命を年を追って調べると、昭和1桁の時代には、40歳までに100人のうち38人が死亡し、50歳を過ぎたばかりでちょうど半数になっていた。現在の統計では、40歳になったとき100人のうち4人が亡くなり、50歳までには7人が亡くなるというのが調査の結果である。このことは現代社会の特徴をたいへんよく表している。つまり昔は50歳になれば同じ時期に生まれた人の半分はいなくなるので、いわば長老としていろいろな役割や尊敬が期待されたが、現在の人たちは40歳、50歳になっても生まれた人の90%以上がそのまま一緒に生きているから、現代が競争社会とかストレス社会とかいわれるのは、まさにこのような人口構成に原因があるのかもしれない」(『高齢化社会の設計」古川俊之』
(中略)
8年ごとに死者は倍増するという統計もある。たとえば40歳で高校のクラス会をひらいた場合、50人のうちこの世のひとでないのはひとりだけである。(……)48歳のクラス会にはふたりが姿を見せず、56歳では4人、64歳では8人が鬼籍に入る勘定だ。ここからは急激に出席者が減少する。72歳で16人、80歳では32人が姿を消して、88歳になると机上の計算ではひとりも出席しないことになる。
「私説昭和史2」と副題のある関川夏央『家族の昭和』(中公文庫)も面白かった。

