黛まどか『句集 北落師門』(文學の森)を読む。面白かった句を拾う。
竹煮草いづくで憑きしひだる神
夏柳風の縺れを雨に解き
「ひだる神」は、『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』によると、
だり神ともいう。憑物 (つきもの) の一種。民間伝承上の一種の霊気で,人里離れた山路などに浮遊して旅人などを悩ますといわれている。空腹時に,これに憑かれると,たちまち身体に倦怠を覚え,歩行不能となって,ついには死ぬと信じられている。また,これにとり憑かれたときには,飯を一粒でも食べるとなおるといわれる。
句集の題名の「北落師門」について、「あとがき」に次のように記す。
タイトルの「北落師門」は、南のうお座の主星フォーマルハウトの中国語名だ。旧都長安の城の北門を指す。別名「秋のひとつ星」。明るく輝く星が少ない晩秋の夜空にあって、南天にぽつんとともる孤高の星だ。クルーズ船で出会った元船長の石橋正先生に教えていただいた。以来北落師門は私の心にともり、輝き続けている。句集名を『北落師門』とした所以である。
また、こうも書いている。
俳句を始めてから今日まで私はどの協会にも属さず、俳壇とは距離を置いて独自で行動してきた。
すると、黛は自分のことを「孤高」の星になぞらえているのだろう。句集を1冊読んだが、拾うべき句は少なかった。「孤高」と称するのは僭越だろう。「弧」ではあっても「高」ではない。
関川夏央は『現代短歌 そのこころみ』(集英社文庫)で、黛について、
94年にデビューした俳句の黛まどかは、「 "これくらいなら自分にもつくれそう" という敷居の低さ」(斎藤美奈子)すなわちヘタクソで受けたのだし、98年長野冬季五輪の折に彼女の俳句を紙面に連載させたのは朝日新聞の「おじさんたち」であった。理由はたんに「美人」であったから、につきる。
と手厳しく書いていた。