丸谷才一『星のあひびき』を読む

 丸谷才一『星のあひびき』(集英社文庫)を読む。いつものエッセイ集。書評35本、評論(的気分)13本、随筆(的気分)12本、推薦および追悼9本、解説(する)6本、計75篇からなっている。書評は1本を除いてすべて毎日新聞に掲載されたもの。
 井上ひさしの『全選評』と『ふふふ』、カズオ・イシグロ夜想曲集』、小島政二郎『小説 永井荷風』と『円朝』、清水徹ヴァレリー』、田中優子春画のからくり』などは、毎日新聞に載った丸谷の書評を見て私も読んだのではなかったろうか。
 丸谷は書評文化の育成に骨を折っている。毎日新聞の書評欄が3大紙の中で最も充実しているのは、丸谷の功績だ。英米では出版2カ月前にリーディング・プルーフ(書評用仮綴本)を書評の媒体に送るのが慣例になっているという。題も表紙もない校正刷で、あらかじめこれを送っておくと、発売と同時に各紙にいっせいに校正が出そろうという。日本でもこれをもっと大がかりにやれば良いと提案している。そのせいか、最近講談社では出版前に書評用仮綴本を配り始めた。私もその募集に応募して、ブルーバックスの表紙のない仮綴本を発売前に入手して読むことができた。
 森澄雄の追悼文では、森の俳句が引かれている。これらは本当にすばらしい句だ。森澄雄を読んで見ようという気にさせる。

 向 日 葵 や 越 後 へ 雨 の 千 曲 川
 越 後 よ り 信 濃 に 来 つ る 法 師 蝉
 桐 の 花 大 和 の 国 が 田 を 鋤 け ば
 沢 庵 を 噛 む や 雪 ふ る 信 濃 に て
 三 月 や 生 毛 生 え た る 甲 斐 の 山
 紀 の 国 や 襖 絵 も ま た 杉 月 夜
 田 を 植 ゑ て 空 も 近 江 の 水 ぐ も り
 羽 づ か ふ 見 え て 淡 海 を 雁 渡 る
 柿 干 し て な ほ 木 に 余 る 伊 賀 の 国
 ま ん さ く や 従 是 東 備 中 と (従是=これより)
 若 狭 に は 佛 多 く て 蒸 鰈
 飛 騨 の 夜 を 大 き く し た る 牛 蛙
 鮎 食 う て 月 も さ す が の 奥 三 河

 これらを「国名の使ひ方のうまい句」と言っている。

 そのくせ「生毛生えたる甲斐の山」などとまことに近代的な色気もあつて、隅に置けない感じ。この線をたどると、


 初 夢 に 見 し 踊 子 を つ つ し め り
 か な か な や 素 足 少 女 が 燈 を と も す
 山 中 の 一 粒 雨 や 雛 祭
 白 地 着 て 李 の 紅 を ま た 好 む
 芍 薬 に 逢 瀬 の ご と き 夜 が あ り
 あ ぢ さ ゐ の 国 に か く れ ぬ 男 猫


などと、格の高さはしつかりと保ちながら、ずいぶん際どいことになる。感じない人は別に何とも思はないかもしれないけれど。

 私も別に何とも思わない。というか、よく分からない。
 私の好きな吉行淳之介について、「とにかくいい男だった。すばらしい美男だった。」と書いている。「絶世の美男で、気性はきれいだし、小説はうまい。女にモテたのは当り前である。」また『輝く日の宮』という長篇小説で光源氏を書くことができたのは、吉行とつきあったからだとまで言っている。吉行の気性がいいという件について、

 何につけても気を使ふ人だった。
 相手のいやがりさうなことは決して口にしない。会話の相手であるわたしならわたしのことだけでなく、一座の全員に気を使つて話題を選んだ。誰かがいささか差支へのある話題を口にすると、上手にさばいて話を変へた。

 さらに手紙の名人だった、心優しい手紙をすっきりと上手に書いた。ぜひ書簡集をだしてもらいたい、夏目漱石の書簡集と並ぶくらいの本になるだろうと結んでいる。私もぜひ読んでみたい。
 いつものことだけれど、丸谷のエッセイ集の題名は独りよがりで的外れの感じが否めない。丸谷は題名の元になったらしい句を本扉の次のページに引いている。
 ア ジ ア で は 星 も 恋 す る 天 の川
 森澄雄を読んだあとでは、ちと劣ると言わざるを得ない。



星のあひびき (集英社文庫)

星のあひびき (集英社文庫)