岩波文庫の『尾崎放哉句集』を読む

 池内紀 編『尾崎放哉句集』(岩波文庫)を読む。放哉は名前くらいは知っていたが、ちゃんと読むのは初めてだった。山頭火との違いもあいまいだった。脚本家の早坂暁が放哉を主人公にした映画を作るべく、すでにシナリオを完成させ、監督を探しているとエッセイに書いているのを読んだことがあった。
 本書の編者であり解説を書いている池内紀によれば、放哉は明治18年(1885年)鳥取県生まれ、東京帝国大学法科卒、東洋生命に入社のちに朝鮮火災海上に入り京城支店の支配人になっている。エリート社員コースを歩んでいた。だが酒の上で失敗をして挫折し、3年間放浪してその後小豆島の小さな庵に暮らして病気でひとり亡くなった。41歳だった。
 学生時代から俳句を作っていたが、池内曰く「つまりは、この程度の俳人だった。努力し、勉強し、精進したことは、用語、措辞のあざやかさからも見てとれる。しかし、上手になればなるほど、その器用さがめだつといったタイプであって、(後略)」
 この程度の秀才型の作品というのが、次のものだ。

寝 て 聞 け ば 遠 き 昔 を 鳴く 蚊 か な


末 法 の 遊 女 も す な る 夏 書 か な


芋 掘 る は 愚 也 金 掘 る は 尚 愚 也

 それが、死の2年半ばかり前から自由律俳句を大量に作り始める。それを師の荻原井泉水に送りつけ、添削してもらった。放哉の句として知られている傑作のほとんどがこの時期に作られた。

入 れ も の が 無 い 両 手 で 受 け る


咳 を し て も 一 人


掛 取 も 来 て く れ ぬ 大 晦 日 も 独 り


ゆ う べ 底 が ぬ け た 柄 杓 で 朝

 映画制作は金がかかる。だからヒットしないとあちこちに迷惑がかかってしまう。放哉の生涯は波瀾万丈でドラマチックだろうけど、華が欠けているようにも思う。どうしたら魅力的な映画になるのだろうか。私の考えることではないが。
 さて、つぎは山頭火を読んでみよう。



尾崎放哉句集 (岩波文庫)

尾崎放哉句集 (岩波文庫)