『山之口獏詩集』を読む

 高良勉 編『山之口獏詩集』(岩波文庫)を読む。明治36年1903年沖縄県生まれの詩人。貧しいなかで口語体の平易な詩を書き続けて昭和38年(1963年)、東京オリンピックの前年に胃がんのため亡くなった。享年59歳。
 1篇の詩をつくるために、100枚、200枚と、徹底的に推敲を繰り返したという。

思い出



枯芝みたいなそのあごひげよ
まがりくねったその生き方よ
おもえば僕によく似た詩だ
るんぺんしては
本屋の荷造り人
るんぺんしては
暖房屋
るんぺんしては
お灸屋
るんぺんしては
おわい屋と
この世の鼻を小馬鹿にしたりこの世の心を泥んこにしたりして
詩は
その日その日を生きながらえて来た
おもえば僕によく似た詩だ
やがてどこから見つけて来たものか
詩は結婚生活をくわえて来た
ああ
おもえばなにからなにまでも僕によく似た詩があるもんだ
ひとくちごとに光っては消えるせつないごはんの粒々のように
詩の唇に光っては消える
茨城生まれの女房よ
沖縄生まれの良人よ

芭蕉布



上京してからかれこれ
十年ばかり経っての夏のことだ
とおい母から芭蕉布を送って来た
芭蕉布は母の手織りで
いざりばたの母の姿をおもい出したり
暑いときには芭蕉布に限ると云う
母の言葉を思い出したりして
沖縄のにおいをなつかしんだものだ
芭蕉布はすぐに仕立てられて
ぼくの着物になったのだが
ただの一度もそれを着ないうちに
二十年も過ぎて今日になったのだ
もちろん失くしたのでもなければ
着惜しみをしているのでもないのだ
出して来たかとおもうと
すぐまた入れるという風に
質屋さんのおつき合いで
着ている暇がないのだ

 池内紀が書評を書いている(毎日新聞、2016年7月10日)。

 風狂のマイナー詩人と目されていた。うれしいことに、いつのころからかファンがふえた。(中略)何よりも平易で、ユーモアがあって、たのしいからだ。
 だが、少しでも真剣に日本語になじんだ人は、すぐにわかる。この平易さは、練りにねった上のもの、そのユーモアは微妙な言葉のハカリの上でミリ単位で揺れている。この点、詩人たちがもっとも敏感に秘密を見とっていた。「詩風は一見平易そのもののようだが、実際には推敲に推敲を重ねる一種のテクニシャン」(草野心平)。「……それほどに長時間、推敲を重ね、『またひとつ』の詩を書いた(荒川洋治)。
 既刊がおおかた絶版のなかで、このたびの『山之口獏詩集』はタイムリーな出版だが、編集に大きな疑義がある。出典がほぼ定本ではなく『思辨の苑』なのはなぜだろう? 代表作の「猫」「座布団」「夜景」等は、行間ごとに広いアキを定めて、それが強力な効果をもっている。いっさい無視されたのはどうしてだろう。なぜ一篇ごとに改ページとしなかったのだろう。詩集は商品目録ではないのである。用語、措辞、構成、リズム、詩人が心血をそそいだ成果に対して、あまりにも心ないことではなかろうか。

 池内の指摘は妥当なものだと思う。出版社の意向が働いたのだろうか?


山之口貘詩集 (岩波文庫)

山之口貘詩集 (岩波文庫)