友人

山本弘へのオマージュ

もう40年近く前になるが、『山本弘遺作画集』に菅沼秀雄さんが「山本弘へのオマージュ」と題して追悼文を寄稿してくれた。菅沼さんは山本の小学校の同級生。私が紹介されたとき、魚問屋の専務だった。 以下、菅沼秀雄さんの投稿全文。 ・ 小学校が山本弘との…

原和の祥月命日

友人の原和(はらかず)が19年前の今夜(13日の深夜〜14日にかけて)亡くなった。亡くなる直前の夜9時頃電話をしてきて、54年付き合ってくれたけどさよならと言った。酔っていてろれつが回らなかった。ぐでんぐでんだった。20歳の頃から死ぬ死ぬと言ってい…

中上健次『一八歳、海へ』を読む

中上健次『一八歳、海へ』(集英社文庫)を読む。中上の初期短篇集だ。あとがきで中上が18歳から23歳にかけて書いたと綴っている。実に下手な短篇集だった。比喩を練っているが生硬なものに留まっている。「愛のような」は安部公房ばりの設定かと読み進めた…

友人の古い手紙

コロナで自宅に蟄居しているので、たまたま古い手紙を見ていた。4月3日のブログに、1972年に友人が恐山へ旅行してそのまま帰って来なかったと書いた。私は友人星秀雄君がシナリオの仕事で順風満帆だったはずだから、お兄さんが考えたような自死はないように…

高校の同級生のこと

3月29日の朝日新聞朝刊を開いて驚いた。高校の時の同級生が大きく取り上げられていた。「Reライフ」というページで、「輝く人 ノンフィクションライター 中澤まゆみさん(71)」とあり、彼女の経歴が詳しく載っている。その経歴、 なかざわ・まゆみ 1949年長…

原和の13回忌

友人の原和が12年前の今夜(13日の深夜〜14日にかけて)亡くなった。今夜は彼の13回忌に当たる。亡くなる直前の夜9時頃電話をしてきて、54年付き合ってくれたけどさよならと言った。酔っていてろれつが回らなかった。ぐでんぐでんだった。20歳の頃から死ぬ…

ハム追悼

丸谷才一『腹を抱へる』(文春文庫)を読んでいたら、「懐かしい人」という章の中に、「菊池武一」というエッセイがあった。菊池武一は四国高松の人、明治29年生まれ、長く國學院大学の教授として英語を教えた。昭和47年没、享年76。丸谷は昭和39年まで十数…

田中博文『真田一族外伝』を読んで

田中博文『真田一族外伝』(産学社)を読む。副題が「伝説の英雄はなぜ誕生したのか」というもの。真田という豪族の出自を滋野一族から解き明かし、のち海野姓を名乗るようになり、海野の娘が嫁して真田幸隆(のちの幸綱)が生まれたという説を紹介している…

友人からの古い年賀状

押入を引っかき回していたら、友人からの古い年賀状が出てきた。昭和52年(1977年)のものだ。差出人の活司は古い友人だったが、もう亡くなってしまった。そのことは以前ブログに書いたことがある。この年賀状をここに書き写す。 年移り 物変われども変わら…

hayakarさんが亡くなった

hayakarさんが亡くなった。ブログの「hayakarの日記」を書いていた早川さん(id:hayakar)だ。9月11日に亡くなったという。三上さん(id:elmikamino)と中山さん(id:taknakayama)が教えてくれた。早川さんが亡くなったと聞いてもなかなか実感が湧かなかっ…

友人Kの祥月命日

今日は友人Kの25年目の祥月命日だ。半年ほど前にKの眠る飯田市の正永寺へ参ったら、Kの木の墓標が倒れていた。24年たてば木は腐るのだ。いや、立派な石塔にすべきだなんて言うつもりはこれっぽっちもない。立派な墓石は遺族の虚栄心にすぎない。それは死者と…

活司の24回目の祥月命日

今日は久保田活司の24回目の祥月命日だ。この写真は1976年の山本弘展の際、入口の看板の前で撮ったもの。たぶん活司は27歳、横に並んだ少年は長男の厚司君、当時5歳か。もう34年前になるが、この時の会話をおぼろに憶えている。厚司君が、この前どこどこで…

友人の祥月命日

今日は友人の祥月命日だ。あれからもう6年になる。何年経っても慣れることができない。今夜はうちで一番いい線香を1本焚こう。飯田市のバー夢二のママも、炭焼小屋のママも同じことをしているだろう。

晩秋のハイキング

晩秋のある日、友人の旧居跡を訪ねた。それは長野県南部の飯田市の西に位置する風越山(ふうえつざん、かざこしやま)の中麓にある。風越山は姿のきれいな山だ。地元では権現山とも呼ばれている。山頂に白山権現が祭られているからだ。 飯田駅の南側から丸山…

活司の墓

10月27日は久保田活司の祥月命日だった。その3日前に所用で飯田市へ行ったので活司の墓をたずねた。墓は曹洞宗円悟山正永寺にある。正永寺には樹齢400年という枝垂れ桜がある。枝垂れ桜は葉も黄ばんでいて春の華やかさはどこにもない。活司の葬式はこんな寂…

自費出版図書館

昔別れて音信不通になっている友人をGoogleで検索したら、1件ヒットした。詳しく調べてみると「自費出版図書館」の蔵書索引だった。蔵書の1冊に北海道常呂高校図書館部の文集が収蔵されているらしい。昭和39年(1964年)に発行され、友人は『「走れメロス…

料理上手な友人

料理上手な友人が二人いる。どちらもIで始まるI藤君とI田君だ。後者の田君では強く印象に残ったエピソードがあった。男5人が新年会をしたときのこと。1泊2日で会場はバツイチの独り者が住む日高市は巾着田近くの1軒屋。前夜豪勢な宴会で朝目覚めると朝食…

今日は原和の5回目の祥月命日だ

今日は原和の5回目の祥月命日だ。5年前の今夜9時頃、別れの電話をくれてその3時間後に亡くなった。原和とは小学校、中学校、高校が一緒だったが、同じクラスになったことはなかったし、特に付き合いはなかった。高校を卒業して2人とも受験に失敗し、田…

話し上手な友人?

自分のことしか関心がない同僚がいた。長い付き合いだがじっくり話し込んだ記憶がない。こちらが話し始めるとすぐそれを引き取って自分の話に持っていってしまうのだ。私は彼が何を考えているか知っているが、彼は私が何を考えているか知らないにちがいない…

会わせたい人がいる

高校の同級生から電話があり、「会わせたい人がいるから新宿へ来ないか」と言う。残業をほっぽり出して、誰に会わせてくれるんだろうとわくわくしながら出かけていった。ルミネの喫茶店にいたのは友人と彼の勤める企業グループの生命保険の勧誘員の女性だっ…

津田裕人の思い出

MacDonaldやMcGregorなどのMacは「〜の息子」という意味だと聞いた。もうないと言ったばかりなのに、昨日に続いてまたブランドの話だ。このMcGregorというブランドも何点か持っていた。 そもそもは友人の形見だった。3歳ほど年下の津田裕人が着ていた真っ黒…

原和の命日

今日は原和の祥月命日だ。3年前の今夜友人が亡くなった。夜9時頃電話をしてきて、54年付き合ってくれたけどさよならと言った。酔っていてろれつが回らなかった。ぐでんぐでんだった。 原和は20代半ばからから俺は自殺する、青木ヶ原で死ぬなんて言っていた…

語り部

小学校の頃の担任の先生を囲んで数人が集まって飲んだ。先生を送った後、皆でもう一度飲み直した。 集まった連中はわりあい成績の良い者たちだったが、一人だけ悪ガキで勉強が苦手なやつがいた。今は農協の職員をしている。 彼の話が滅法面白かった。およそ…

星秀雄の思い出

星秀雄は高校の同級生で最も親しい友人だった。高校在学中に鈴木に姓が変わった。 高校生の頃から映画が好きでシナリオライターになりたいと言っていた。われわれの高校は地域でも自由度が大きく、喫茶店に出入りができる唯一の高校だった。43年前にすでに週…

活司命日

今日10月27日は久保田活司の20年目の祥月命日だ。活司は1歳下の高校の後輩。貧乏しながら小説を書いていた。小説現代の新人賞に応募していたが一度も入選しなかった。 文体が確立していたので、お前は大丈夫だよと言ったが、駄目だった。いわゆる戯作体の文…