星秀雄の思い出

 星秀雄は高校の同級生で最も親しい友人だった。高校在学中に鈴木に姓が変わった。
 高校生の頃から映画が好きでシナリオライターになりたいと言っていた。われわれの高校は地域でも自由度が大きく、喫茶店に出入りができる唯一の高校だった。43年前にすでに週休2日制(隔週だったが)を採用していた。映画館への出入りも問題なかったと思う。
 シナリオライターになりたかったくらいだから星はたくさん映画を見た。増村保造なんかがお気に入りだった。それが養父にとがめられて、勉強をしないで映画なんかを見てと除籍された。星秀雄は鈴木秀雄になった。
 鈴木になると兄姉しかいなかったので大学は読売奨学生となり、読売新聞を配達しながら立教大学文学部へ通った。しかし夕刊の配達があると言ってもそんなのサボっちゃえよという級友とのギャップが星を退学させ、翌年改めて早稲田大学文学部2部へ入学しなおした。
 読売奨学生を続けながら早稲田大学を卒業した。卒業しても新聞配達はやめず、当時両国駅前にあったシナリオライター研究所だったか養成講座だったかに通った。
 1973年2月5日付けの葉書がある。劇画シナリオ専門のプロダクションに入ったと書いている。そのことを喜んでいた記憶がある。(名前は星になっているが、復籍はしていない)。
 その年の5月頃か、私の勤務先へ電話があって今度の日曜日に会いたいと言ってきた。近いうちに青森県の恐山へ一人で旅行に行くという。だが指定された日曜日は付き合い始めたカミさんとのデートの約束があった。彼女に夢中だったので星の誘いを断った。それが今生の最後となった。
 恐山へ行った星は二度と帰らなかった。新聞配達所の仲間からテントやシュラフを借りて行っていた。星は黙って借り倒すようなヤツではないと仲間は言っている。シナリオライター研究所にも行ってみたが誰も星が失踪する様子はなかったと言う。
 失踪する動機がない。しかしそのまま下宿に戻ることはなかった。何ヶ月かして兄貴さんが葬式を出した。
 その後数年に1度は星にばったり遭う夢を数回は見た。俺はお前が生きていると思っていたよと言うのだが。
 何年か前、ある友人が星は北朝鮮に拉致されたのではなかったかと言い出した。確かめる術はないが、それが真実ではないかとこの頃では思っている。