友人の古い手紙

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 コロナで自宅に蟄居しているので、たまたま古い手紙を見ていた。4月3日のブログに、1972年に友人が恐山へ旅行してそのまま帰って来なかったと書いた。私は友人星秀雄君がシナリオの仕事で順風満帆だったはずだから、お兄さんが考えたような自死はないように思っていた。それがこの手紙を見て断言する自信がなくなった。
 先のブログに旅行に出たのが1972年だと書いたが、1973年だった。
 最初に1973年の年賀状を紹介する。

明けまして/おめでとうございます。
お互いに連絡がまずかった昨年ですが、今年は書くことがつまりそうで相談したいこと多く早めに会いたい。実は自慢もしたいんだ。昨年書いた20枚シナリオのうちの一つで、シムノン調のかなりいい線を行ったと自認しているものだが、読んだヤツに説明を加えないと解ってもらえない不備がある。これを穴埋めしたいのだ。また連絡します。

 次は年賀状からひと月後の1972年2月6日の消印がある葉書。

 前略
2月に入って急に忙しくなり、電話や手紙も書けないあり様で申訳なく思っています。実は劇画シナリオの専門のプロダクションの創設にあたって、同人に加えてやるがどうだという話があり、僕ははじめ力不足だからと辞退したのだけれど、絶好のチャンスだからと勧められ、入れてもらったからで…… 今、書き直し、書き直しをやらされて惨めな気持ちになっているところなんです。プロはやっぱり違う、発想にはじまって、詰将棋のような話の結末への追い込み、人物創造の見事さ、いかに自分が駄目かを目のあたりに見せられるわけです。まあそういうわけ。特殊と普遍の話は異論があるので、また手紙か会った時にでも。
草々

 「特殊と普遍の話」はたぶん私が手紙で振った話題なのだろう。この後の記憶は3月か4月になって星から電話があり、恐山に行くのだがその前に次の日曜に会いたいというものだった。その日は用事があるからと断ったのが星との会話の最後になってしまった。
 シナリオの仕事につけたようで順調な滑り出しだと私は喜んでいたが、この手紙の様子は、自分の才能の少なさに悩んでいるようだ。まさかそれで絶望して恐山へ行ったのだろうか。
 葉書の文字は几帳面な性格を表している。