村上春樹『職業としての小説家』を読む

 村上春樹『職業としての小説家』(新潮文庫)を読む。これがとてもおもしろかった。村上が小説家としての自身の生活を実に率直に語っている。まず結婚してから大学を卒業し、会社に就職するのが嫌だったのでジャズのレコードをかけてコーヒーや酒や料理を出す店を始めた。1978年4月にセ・リーグの開幕戦のヤクルト対カープのデー・ゲームを神宮球場へ見に行ったとき、突然自分にも小説が書けるかもしれなという啓示があった。試合が終わってから新宿の紀伊国屋へ行ってセーラーの万年筆と原稿用紙を買った。
 店の仕事を終えてから夜明けまでの数時間およそ半年かけて『風の歌を聴け』の第1稿を書き上げた。でもそれは自分で読んでも面白くなかった。そこで英文タイプライターを持ち出して、小説の出だしを英語で書いてみた。すると、そこに自分なりの文章のリズムみたいなのが生まれてきた。それを今度は日本語に翻訳していった。このように新しく獲得した文体で先に書いた小説をそっくり書き直して今ある『風の歌を聴け』が完成した。
 ファンなら知っているだろうこのあたりのことが、春樹の良い読者ではない私には新鮮だった。それを『群像』新人賞に応募すると新人賞に選ばれたのだった。
 ついで『1973年のピンボール』を書き、『羊をめぐる冒険』を書き始める前に専業作家になる決心をして店を売却する。最初の『風の歌〜』と『1973年の〜』が芥川賞の候補になりながら受賞を逃し、以降その候補になることはなかった。それに関連して、芥川賞ノーベル賞の意味を考察している。村上がそれらの受賞にあまり重きを置いていないことはよく納得できた。大事なのは読者だと言い切っている。
 村上は日本の文壇とも他の作家たちともほとんど交流を持っていない。興味がないという。むしろ日本の文芸評論家やマスコミなどからの干渉を嫌って、長篇小説を書き上げるときなど長期間海外で暮らしている。
 日本のいわゆる玄人筋の評論家などからの評価が割合厳しいものがあったこともあり、アメリカへ進出することを図った。アメリカの有力なエージェントと知り合い、また優秀な翻訳者とも出会うことができた。ジェイ・ルービンとアルフレッド・バーンバウムだった。
 このジェイ・ルービンは新山茂樹から日本語を学んでいる。新山はまた近代日本思想史学者のテツオ・ナジタの日本語の師でもある。新山はアメリカへ渡る前は日本の女子大で近代文学を教えていた。私の元カミさんはそこで新山茂樹の教えを受けていたので、新山先生が優れていたことは彼女から聞いていた。事実彼女がゼミで使ったという三島由紀夫の『獅子・孔雀』(新潮文庫)の書き込みを見て、新山先生の優秀なことがよく分かった。私もそのゼミに出てみたかった。
 村上春樹は最初の『風の歌〜』と『1973年の〜』が出た時どちらも購入しておもしろく読んだ。ただこれは自分が読むよりも、当時勤めていた会社の数歳若いニューファミリー世代の後輩に向いていると、彼に推薦した記憶がある。それ以来読んでいなかったが、10年近く前に娘から勧められて、10数冊くらいを読まされたことがあった。読む順番も決められて。読後話し合ったりして、それは楽しい読書だった。『風の歌〜』を50回以上読んだと言っていた。
 本書の最後に「河合隼雄先生の思い出」という講演原稿が採録されている。

……そんなわけで、ここだけの話ですが、僕はいまだに河合先生の本をほとんど読んでいません。僕が読んだのは、先生の書かれたユングの評伝と、岩波新書から出ている『未来への記憶』という自伝的な語り下ろしの作品だけです。ちなみにカール・ユングの著作も、まだ1冊もきちんと読んだことはありません。

 この『未来への記憶』は知らなかった。早速読んでみようと思って調べたら、増補されて現在『河合隼雄自伝』(新潮文庫)となっていた。これなら読んだことがあった。私もユングはほとんど読んでいないが、彼の『自伝』(みすず書房)は十分面白かった。大江健三郎が、これを読めば夢のことはほとんど分かると言っていたが、そんなことはなかった。


河合隼雄『河合隼雄自伝』を読む(2015年10月4 日)



職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)