河合隼雄『河合隼雄語録』を読む

 河合隼雄河合隼雄語録』(岩波現代文庫)を読む。息子の河合俊雄編集。本書は1974年から1976年にかけての京都大学臨床心理学教室での心理療法の事例検討会における河合隼雄のコメントをまとめたもの。当時大学院生であった藤縄真理子がそれを録音していて、河合のコメントを文字起こししてノートにまとめていたもの。
 患者(クライエント)のプライバシーに触る具体的な事例は省き、河合の一般論的なコメントをのみ採録している。そのためどうしても分かりづらく、特に私のような一般読者には何が問題になっているのかさえ不明な個所が少なくない。それでも興味深い点が多々あることも事実だ。
 自閉症児がテレビCMを見て悲しそうな顔をする事例について、自閉症児にとってCMをコミュニケーションの手段に使うのは非常に良い方法だと河合は言う。

 しかし考えてみるとCMを作る人というのはたいしたものですね。こんな風に言いやすくて、しかも心に残るものを直感的につかんでいるわけでしょうね。あんまり作りすぎてCMを作る名人の人、自殺したけど、あれももう死ななきゃしょうがないのかもしれないな。何かもう、人間性の全人格をかけねばならないところでギリギリの勝負ばっかりになるからね。それでいて、全人格はかけられないわけで、だからものすごくアンバランスな仕事を強いられるわけだからね。もう死ななきゃならないようになるんだろうな。

 自殺したCMを作る名人と言われているのは、1973年に37歳で自殺した杉山登志だ。内外の数多くの賞を受賞したCMディレクターだった。

 象徴性の高いことを出してきたときにはね、ものすごい迫力があるから、その場合にはこっちはなるべく何もしないことです。ここではむしろセラピストが人形を二つ与えてしまっているけどね。その子が一つ選ぶか二つ選ぶかで違うわけでしょ。それはもっと慎重にやったほうがいいです。「二」という場合、考えられることはアンビバレント(両価的)ということがあります。カフカの小説なんかに、ものすごくよく似たのが二人で出てきますね。同じ服装してるのなんかが出てきたり。私ともう一人の私っていう、テーマと違うもう一人の人が出てくる。そういうのはコンフリクト(葛藤)ということで道が二つある。なかなか見分けがつかないということ。例えば殺すか殺さないかっていうことが、全く等価の意味を持っている。それからこれが出てくるということは、葛藤があるということ自体、非情に意識に近い。完全に意識化されないけど意識されつつあるということ。この場合はもうセラピストが手伝ってるんで、そこまではちょっとわからなくなってる。だから僕は象徴度が高まって、向こうが迫力あるほどひっこみます。なるべくその人の一番いい方法をやらせてあげたい。

 自閉症児がウンコを触るところなんか絶対身体と関係ありますね。自分が初めて生産したものでしょう。自力生産し得たもの。それにいろいろの形を与えてみるわけです。つまり、人間って、与えられずに人間の持っているものっていったら体でしょ。そこから出ているものだから、その身体の連続体でね。しかも自由にできるものというわけです。

 セラピストに関しては、中井久夫に学んだ最相葉月『セラピスト』(新潮社)が面白かった。


最相葉月『セラピスト』を読む(2014年11月15日)


セラピスト (新潮文庫)

セラピスト (新潮文庫)