吉行淳之介『目玉』を読む

 吉行淳之介『目玉』(新潮文庫)を読む。「眼玉」のほかに「鋸山心中」や「百閒のぜんそく」「葛飾」など7編の短編を集めている。吉行は最も好きな作家で娯楽小説以外はほとんど読んできた。本書も何十年ぶりかの再読だ。
 村上春樹も『若い読者のための短編小説案内』(文春文庫)で吉行の「水の畔り」を取り上げていた。良い作家なのだ。
 吉行を長年読んできて、いろいろと影響を受けてきた。むかし吉行自身が、自分は多くの読者からエロの作家だと思われ、一部の読者からエロチシズムの作家だと思われていると書いていた。私にとって吉行は屈折の作家であり、含羞の作家なのだ。屈折という言葉は私にとっては高い価値を持っている。
 「大きい荷物」にヒロポンについて書かれている。

 戦争中には、ヒロポンやベンゼドリンは薬店でいくらでも買えた。もともと、特攻隊隊員に与えて心悸亢進させるためと、工場労働者を徹夜で働かせるための薬だった。2、3度使ってみたが、馴染まずにやめた。

 わが師山本弘も戦後ヒロポン中毒に苦しんだと聞いた。
 性の能力について「鋸山心中」に書いている。心中した女性の遺体を掘り出した男がいた。屍姦事件かと思われたが、検視によって処女のままであることが分かった。

 戦前の65歳は数え年だから、今の時代では64歳で、私と同年齢である。(つまりこの執筆年は1988年になる)性の能力には個人差が大きく、50歳で無用のものになったと公言する人物もいるし、80歳で子を産ませる人物もいる。

 私の友人でも早いのは40代で女性に興味を失ったという奴がいたし、70歳を超えて毎週風俗に通っている友人もいる。後者の友人の話では、彼が中学生のときお父さんは2号さんが二人もいて不潔だなあと思っていたが、今では奥さんだけでは足りなかったことがよく分かる、と。つまり遺伝なのだ。
 この「鋸山心中」には新聞の死亡欄を最初に見るとある。

 いつものように、最初に見るのは社会面の隅にある死亡欄である。もう20年ほど前からのことで、やがて習慣になったが、今では死ははるかに身近なことになっている。

 むかし、ル・カレが引用したシラーの一節「愚かを相手の戦いには神も手を焼く」をつい思い出してしまう部下がいて、ある時私に対して半ば呆れるようにmmpoloさんは新聞の死亡欄が好きですねと言った。死亡欄なんて好きなわけがない。取引先の重役が亡くなったことを見逃さないようにするためだった。
 いつ読んでも吉行の小説は期待を裏切ることがない。1994年の7月に吉行が亡くなったことを憶えているのは、わが師山本弘の東京での初遺作展について読売新聞に針生一郎さんの大きな展評が載る予定が、吉行の死亡を伝える記事で1日延期されたことがあったからだ。好きな画家と好きな作家が絡んだ思い出だ。

 

 

目玉 (新潮文庫)

目玉 (新潮文庫)