河合隼雄『物語を生きる』を読む

 河合隼雄『物語を生きる』(岩波現代文庫)を読む。ユング精神分析家の河合が日本の王朝物語を取り上げて論じている。古代の物語は作者不明のものや多くの人によって書き足されたものが多い。そのようなことから集団的無意識、共同的無意識を研究するユング派の河合の興味を惹いたのだろうと読み始めた。
 初めに『竹取物語』が取り上げられる。ついで『源氏物語』、『宇津保物語』、「落窪物語」が分析の対象になる。それらの人間関係にヨーロッパの古い物語などに見られる熾烈な対立(殺人を伴う)がないことが指摘される。
 『とりかへばや物語』は姉と弟が役割を交替する話で、現在流行っている映画『君の名は』の源流ともいえる。これを場所=トポスと絡めて図解して分析している。そのトポスと転生という側面から『浜松中納言物語』が取り上げられる。さらに夢に注目して『浜松中納言物語』と『更級日記』が比較される。
 鎌倉時代に書かれた『我身にたどる姫君』では「密通」が大事な要素だと指摘される。複雑な系譜の中に5つの密通が描かれている。密通によって宮家と摂関家の血が混じり、両家の融和が完成し、それぞれの姫も幸福になってゆくという。それを紹介しながら、河合はシェークスピアの『リチャード3世』を思い出す。リチャード3世は権力の座を獲得するためにつぎつぎと人を殺してゆくが、結果的に殺人の果ての仲直りという形で、ランカスター家とヨーク家は合体する。日本の物語では密通=「つなぎ」を凝り返して融和に至り、イギリスでは殺人=「切る」を繰り返して邪魔者が消え統合が行われる。密通をこんなにポジティブに捉える視点に驚かされた。
 国文学者ではなくユング派の精神分析家による日本の王朝物語の分析ではあったが、国文学会で発表してもあまり違和感はなかったのではないか。しかし、改めて「物語」の重要性を教えられた気がする。私の青春時代はフランスのヌーヴォーロマンが全盛だったので、物語ることに対して多少とも否定的に考えてしまっていた。物語の機能の重要性を教わった気がする。