佐野洋子対談集『ほんとのこと言えば?』を読む

 佐野洋子対談集『ほんとのこと言えば?』(河出書房新社)を読む。小沢昭一河合隼雄明石家さんま谷川俊太郎大竹しのぶ岸田今日子、おすぎ、山田詠美阿川佐和子と対談している。やはり対談というのは相手があるので、いつもの佐野洋子のパワーが大幅に削がれていて、その分少々物足りない。
 佐野が2回の離婚経験者であることは知っていたが、谷川俊太郎がその2度目の配偶者だとは知らなかった。谷川との対談は結婚している間に行われたもの。お互いの絵本について語っている。

佐野  ……やっぱ谷川さんの本は見ると私、いちいち全部感心するんですよね、「ああ、本当にこういうところによく目をつけた」って。ただすごく感心するけれども、感動はしませんね。
 非常に知的でいらっしゃるから、知的に作られるので、人間の知性っていうのはきっと感動っていうところとちょっと一緒にならないところがあるかもしれない。だから非常に理知的につくっているけれど、ある種人間的な感動を呼ぶっていうのとはちょっと違うんだと思います。たぶん、今日本でそういう本を作らせたら、谷川さんはやっぱり一番上手な人だと思いますね。子供を生意気にさせるばっかりなのね、谷川さんの本っていうのは(笑)。だから私は谷川さんの絵本は教科書にするとすごくいいと思うの。世の中をどんどん細かくちぎって、デジタルで分析して細かく細かくしていくっていうふうな見え方がするけれど、だからそこに人間のトータルな何かがあるかって言うと、そこは私は非常に疑問に思うの。日本の教育とか近代化っていうのが人間をそのようにさせてきた感じがするから、たぶん谷川さんは非常に進んでいる近代人で、私は非常に遅れている未開人の作り方をしているだろうと思います。

 対して谷川は、男と女ではものの認識の仕方が違うという。谷川の方がもちろん男っぽくて、整理整頓して秩序づけることが認識であると思っているところがある。それは科学者の認識の仕方と似ている。感動がないと言われたが、男はあることがきれいに割り切れて認識されたされたときに感動する。だからそういうものが認識だと思っている人間と、世界ってそんなに秩序があるものではない、割り切れたものではない、混沌としていて全部ぐちゃぐちゃであることを、全体として一つのものとして認識する人間との違いだという。そして、

谷川  この方の文章なんか見ていても、そういうふうに細分化して分割していって整理整頓して認識しましょうっていう動きは一つもないのね。だからこの人の文章に一番近い文章は誰かというと山下清。彼の文章に非常に強く影響を受けていると思います。こっちは夏目漱石なんかにも影響を受けているタイプの作家だと思うんですよね。だから絵本としてそれはどっちがいいかというのではなくて、やっぱり絵本の世界にその二つはあってよくて、僕はそれを絵本のジャンルで話をすると、物語絵本と認識絵本の違いというふうに言えると思うんです。

 ほかにおすぎとの対談が割合おもしろかった。しかし総じて佐野洋子個人の本と比べれば面白さは半減している。おそらく、観客たちの前でのイベントとして行われた対談が主なので、集まった聴衆も有名人を見たいという動機の人たちが多かったのではないか。対談によって思想が深まっていくというのでもなかったし。