パトリック・ジュースキント『ゾマーさんのこと』を読む

 パトリック・ジュースキント池内紀・訳『ゾマーさんのこと』(文藝春秋)を読む。佐野洋子がエッセイで「生涯ただ1冊といわれたらこれです」と書いていた。絵本のような挿絵が入っており、中高校生向けといった感じの本だった。訳者の池内があとがきで書いている。

 初版が出たのは1991年の年の瀬もちかいころ。……91年のその年、……プレゼントがあちこちでかち合った。リボンをといて、包みをひらくと、いたるところでジュースキントがあらわれた。……たしかにそんな季節に出た本だった。そしてよく売れた。……ジュースキントのこの本は、年がかわって春になっても、夏がきても、売れ行きが変わらなかった。秋がすぎ、2度目の冬がめぐってきても、やはりベストセラーのリストに名をつらねている。

 ドイツでベストセラーだったのだ。しかし地味な本だ。木のぼりが好きな少年の成長のエピソードが語られる。戦争が終わってすぐの頃、少年の住む村にどこからかゾマーさんと奥さんがやってきて住みついた。奥さんは小さな人形を作っていたが、ゾマーさんは毎日歩いてばかりいた。朝早くから夜遅くまで、太陽が照り付けても土砂降りの雨の日も雪の日も嵐のときでも、ただ歩き回っているようだった。往復20キロの近くの街まで日に何度も出かけて行く。何をしているのか誰も分からない。
 ある日、少年が父親と車で出かけたおり、帰り道嵐に遭遇した。視界が2メートルもなかった。嵐がすぎたあと、ゾマーさんが歩いているのが目に入った。車に乗ることを勧めたが、きっぱりと断わられた。
 少年のささやかな恋物語や、自転車の練習、ピアノの稽古などが、語られる。ピアノの先生のフンケルおばあさんの厳しい指導には自殺さえ考えてしまう。実行の直前にゾマーさんを見かけて自殺を思いとどまったが。
 もうすぐ16歳になるときに、ゾマーさんを見かけた。その後の顛末が語られるが、このエピソードが本作のクライマックスになっている。
 発売後ドイツでベストセラーになり、佐野洋子に「生涯ただ1冊」と言われた本書の面白さが私には分からないのだった。そう言えば、昔カミさんから、あんたは小説の機微が分からないからと言われていたことを思いだした。
 もう一度、池内のあとがきに戻る。

 ことばを口にしない、あるいは失った男。ひえびえとした孤独のなかにいる。しかし異常な気配はないだろう。寂しい悲しみをおもわせる表情がある。誰よりも少年が、そして少年だけがその表情を見てとった。

 少年がテレビの『名犬ラッシー』を見るために友人の家に行くというくだりがあった。私も小学生の頃、近所のテレビのある家へ行って『名犬ラッシー』を見せてもらった。すると、少年と私は同い年くらいなのかと、ジュースキントの経歴を見ると1949年生まれで私より1歳下だった。ドイツにも団塊の世代というのがあるかどうか知らないが、いずれにしろ戦争直後に生まれた世代だ。ドイツではナチスの記憶、戦争の傷が強く残っていたに違いない。ゾマーさんもそのことと無関係ではないのではないか。ドイツでベストセラーだったのは、みなそのことが分かっていたからではないのか。「小説の機微」が分からない私と違って。


ゾマーさんのこと

ゾマーさんのこと