佐野洋子『私の息子はサルだった』を読む

 佐野洋子『私の息子はサルだった』(新潮社)を読む。ケンちゃんという男の子の保育園時代から高校生の頃までを書いている。発行が2015年の5月、ちなみに佐野は2010年に亡くなっている。最後に「あとがきのかわり」と題して広瀬弦が書いている。広瀬は佐野の一人息子でイラストレーターをしている。

 僕は何度か佐野洋子の書いたものに登場している。
 それは楽しく、美しいエピソードもあったと思う。でも僕はそれがずっと嫌だった。そこにいるのは僕じゃない。僕の思い出に少しの大袈裟と嘘を好き勝手に散りばめている。
 十代の終わりの頃、知らないおばさんに腕をギュッと掴まれて、
「あら、あなたがげんちゃん? 知ってるわよ、他人のような気がしないのよね」
 と言われたことがあった。僕が知らない人が僕の知らない僕を知っている。怖かった。もしかしたら凄い顔で睨んでしまったかも知れない。
 その後すぐに僕は、佐野洋子に頼むからもう自分のことは書かないでくれと怒った。彼女は不満そうな顔をして渋々それを受け入れた。それからしばらく彼女が書いたものに僕が出てくることはなくなった。
 もしかしたら、この「ケン」の話はその頃に書き溜めていたのかも知れない。(後略)

 息子の拒否を受け入れて佐野は発表を控えたのだろう。しかし亡くなって5年後、息子の広瀬弦は発表することを受け入れた。「私の息子はサルだった」などという題名は佐野ではなく、編集者と息子が作ったのだろう。
 小学校から中学校あたりの男の子ってこんな無茶苦茶な存在だったと思う。小学生の時、ケンちゃんは級友2人と一人の女の子を好きになり、その共通点で「親友同盟」を作った。のちに名古屋に転勤していった彼女の家を皆で訪ねて行って歓迎されたりもしている。
 名門私立中学に入った親友同盟の一人のよっちゃんの台詞、

「おばさん、男子校って悲劇なんだよ。もうオレなんか、道で女見ただけでのぼせ上がるんだぜ。どんなブスが向こうから来てもカーッてなっちゃうの。いいよなあ、ケンは」

 やあ、本当にサルみたいな男の子たちがとてもかわいらしく面白い。もっともっと書いてくれたら良かったのに。

私の息子はサルだった

私の息子はサルだった