佐野洋子『役にたたない日々』を読む

 佐野洋子『役にたたない日々』(朝日文庫)を読む。2003年から2008年にかけて書かれたエッセイ集。佐野が65歳から70歳までの5年間に書いて、その2年後に亡くなった。本書で身辺雑記を綴っている。それが半端ではなく、ほとんど壮絶に近い生活だ。きわめて魅力的な人だが、身近にいて付き合えばいろいろ辛いことも多い人だろうとも思わせる。従姉妹とか友達と何年も絶交したなどという記載もある。私が絶交したのはただ一人、何百万も貸して返済しないから、お前にはもう貸さないと宣言した弟だけだ。いや、私が絶交されたのだったが。
 佐野はミミ子さんと「湯〜とぴあ」に行く。それは駅前の風呂屋ビルなのだ。

 それから、よもぎサウナに入った。若い女がいた。やっぱり若い女の裸は完璧に美しいね。私は湯気モウモウの中で、若い女の体を見て、見ながら毛が生えているところも見て仰天した。若い女の小山は真夏なのであった。ぼうぼうもくもく燃える若い木の葉なのである。山の稜線など見えないのだ。ぼうぼうの真っ黒なのだった。

 66歳のとき乳がんになった。36歳の男がリュックサックにビデオの「冬のソナタ」全巻を見舞に持ってきてくれた。佐野は冬ソナにはまって2回も見た。男が帰るときビデオを置いて行こうかとはっきりしない口で言った。置いていってほしかったが、口ごもると子孫(たぶん息子のこと)が、俺がDVD買ってきてやると言い、「子孫はDVD全編ケース入りを購入してくれた。夢かと思った」。ヨン様に夢中になった。ついで36歳の人妻が「秋の童話」という「冬ソナ」シリーズの秋編全巻見舞いに持ってきてくれた。佐野は恋敵のウォンビンに心が移った。2度目を見終わってウォンビンのビデオを探しに行った。奈良に住む妹から「ホテリアー」のDVDを借りた。ヨン様の恋敵の総支配人キム・スンウに心が移った。

……総支配人をやったキム・スンウは浮気のスキャンダルが露見して大さわぎになったそうである。
 男のチンチンなんぞ男の自由にしてやれよ。

 モモちゃんは8歳年上の父方の従姉だ。

 モモちゃんは突然云う。「私、腹がたつの、広島の慰霊碑に、『過ちは繰返しませぬから』って。どっちがあやまちよ、原爆落としたのあっちなのよ、あやまちはあっちでしょ、それを……」。モモちゃんは胸にせまるらしく言葉がつかえてしまう。私はこのコメントは少なくともモモちゃんから200回はきいている。

 モモちゃんは戦後教育を批判する。教育勅語を早口で口走る。そのあと、ジンム、スイゼイ、アンネイ、イトク……と歴代天皇を暗唱する。

「私はね、終戦の責任は天皇陛下にあると思うの、あの時死刑にすべきだったのよ」と次に飛躍的に過激なことを云う。「でもね、現実に居るんだったら居るようにすべきなのよ」。へっ?「だってA新聞だってよ、『陛下は何々をお食べになった』よ」なんて云うんだ。「『召し上がった』なの。それから、天皇陛下美智子さまって書いてあるでしょう、駄目よ、天皇陛下ならびに皇后陛下なの」。へーっ。

 2006年秋のエッセイ。

 私68。生涯初めて男好き全開。浮気、不倫、五股八股、三角四角関係歓迎、若さのみ条件、例外除き50歳以上不可、イケ面不細工自由自在……エトセトラ。その心菩薩。あるいは人非人
 毎日毎日楽しくてならない。まるで大空に放たれた鳥の如くである。私が誰に食いつこうが、泣く人は一人も居ない。私傷つく事皆無。別に妄想ではなく正気である。少し金はかかるが身上つぶすほどではない。
「いやあ韓流は幸せだったね―」「もう溺死するほどだったね―。でも今はもう思い出すとゲロが出るねェ―」「うん、ヨン様なんか気持ちわるいねェ」。法事の帰りの車の中の妹との会話である。運転手の若い男が云う。「ひでえ―なあ、一度は愛した男だろ、それはないんじゃない?」「だってゲロっぽくなっちゃったんだもの」「ヨン様かわいそうだなあ」「あははは」。平気である。
 妹のことは知らないが、どうもあれ以来私の男好きは全開したのである。
 ウォンピン東洋一の美男子、イ・ビョンホン、のど仏で感情表現する演技派、チェ・ミンス三船敏郎を若くしてシャープにした暗い男……それから果てしない浮気の旅、異国の男だからかと思っていたら、ある日香取慎吾にはまっていた。毎日会いたくて、ついに三谷幸喜の「HR」のDVDを箱ごと入手してしまった。ついでに中村獅童にも心をうばわれた。あの馬鹿っぽく天衣無縫の不良を我が子に持ちたいと思った。

 乳ガンになったとき、うちから67歩で行ける病院に行って切ってもらった。手術の次の日67歩歩いて家にタバコを吸いに行った。毎日タバコを吸いに帰った。

 (ガンが再発して)初めての診察の時、「あと何年もちますか」「ホスピスを入れて2年位かな」「いくらかかりますか死ぬまで」「1千万」「わかりました。抗ガン剤はやめてください」「わかりました」(それから1年はたった)
 ラッキー、私は自由業で年金がないから90まで生きたらどうしようとセコセコ貯金をしていた。
 私はその帰りにうちの近所のジャガーの代理店に行って、そこにあったイングリッシュグリーンの車を指して「それ下さい」と云った。私は国粋主義者だから今まで絶対に外車に意地でも乗らなかった。
 来たジャガーに乗った瞬間「あ−私はこういう男を一生さがして間に合わなかったのだ」と感じた。シートがしっかりと私を守りますと云っている。そして余分なサービスは何もない、でも心から信頼が自然にわき上がって来た。最後に乗る車がジャガーかよ、運がいいよナア。

 ジャガーを買って1週間で側面をボコボコニした。車庫入れが下手で、車庫も狭かった。


役にたたない日々 (朝日文庫)

役にたたない日々 (朝日文庫)