昨日「立石」について書いたので、それに関連して同じ葛飾区立石にある熊野神社を詣でた。神社のHPを見て京成電鉄の青砥駅で降りてやはり中川に沿って行ったが、着いて見れば「立石」の古跡からわずか300mほどしか離れていなかった。
神社の両脇に樹齢300年のクスノキの神木
熊野神社を詣でたのは、ここが「石棒を神体とする神祠」と知ったからだ。ご神体が石というのは、金属器文化以前の古代の信仰を伝えていることになる。亀戸の石井神社の縁起に、鳥居龍蔵博士の著書からの引用がある。
(……)亀戸(石井神社)の石棒に対して面白いのは、吾妻の森から北の方、中川に接した立石村に熊野神社があって、此処に石棒を祭っていることです。私は此の立石の石棒も亀戸の石棒と共に、すでに其の時代(石器時代)から其処にあったものと思われます。(鳥居竜蔵書「武蔵野及其周囲」)。
この熊野神社の由緒を示すプレートが、鳥居のところに立てられている。
社伝によると 創祠は 平安時代中期の 長保年間(999~1003)に 陰陽師安倍晴明の勧請によると伝えられています。
江戸時代の地誌「四神地名録」によると 当社の御神体は「神代の石剣」で きわめて珍しいものと記されております。
この辺り一帯には、古墳群をはじめ 霊石として知られる「立石」等があり 先史時代から集落のあった場所として 葛飾区内で 最も古い神社の一つであります。
ついで、平安時代、鎌倉時代、江戸時代の事跡が綴られている。しかし、ここでも極めて控えめの平安時代中期創建とされている。なるほど神社そのものの創建はそうなのかもしれない。しかし、ご神体は先史時代に遡るとみて良いだろう。近所に「立石」があり、熊野神社にご神体として石棒があることは、偶然とは考えられず、この地が石神信仰の一つの拠点であったと見なしても良いのではないか。その信仰の記憶を基に平安時代にイザナギを勧請し熊野神社を創建したのではないか。
石の御神体は見ることができなかった。どんな形をしているのだろう。以前、古田武彦さんと福岡の小さな古社を訪ねたとき、古田さんが小さな社の奥に祀られていたご神体を取り出して、包んでいた布をほどいて見せてくれたことがあった。ボーリングのボールより少し小さい丸石だった。このような石がご神体なのは金属器の時代より古い信仰を表していると話してくれた。
ほかにも練馬区の石神井神社、豊島区の正法院の石神、板橋区の文殊院の石神などを訪ねてみたい。中沢新一の『アースダイバー』に倣って、それらの地を縄文の地図に重ねてみたい気がする。