矢島渚男『身辺の記Ⅲ』(紅書房)を読む。矢島渚男は蛇笏賞を受けたベテラン俳人。読売俳壇の選者をしている。本書はその主宰する『梟』に連載したものから89篇を収録したもの。いずれも見開き2ページと短いが、さすが俳人読みごたえがある。
芭蕉の『おくのほそ道』の校正をしていて、「夏草や兵共が夢の跡」の「ども」は対象を軽蔑してつける語なのだという。さらに「が」の助詞によって彼らを軽侮する意味は一層強まっているという。「夢」は野望の訳が近いだろうと。芭蕉は武力によって権力を得ようとするもの、武力によって権勢の座を得た人々を侮蔑していた、と。
芥川龍之介の横須賀の海軍機関学校時代の教師像を紹介している。『芥川追想』(岩波文庫)に載っているという。その授業について、
「ほかの教官は、教壇に立ってもまさに直立不動の姿勢で講義したものだ。が、芥川龍之介だけは茄子紺サージの背広で、いつも椅子に腰をおろし、横向きになって、左足を上にもたせるように足をくみ、その左足の足くびのところを右手でかるくにぎって、いつも講義していた。いまの(昭和)天皇が摂政であったころ、横須賀鎮守府長官とともに見学に見えられた時も、彼は同じ姿勢で講義をつづけていた…」
ここには彼の徹底した人間平等感がうかがわれる。たとえ摂政が見学に来られてもなにも特別な応対をするべきではなく、普段と同じように授業を続ければいい。これが生徒達には異様な状態であり、大きな衝撃として残ったのだ。
矢島はシューベルトの音楽が好きだという。ことにピアノ三重奏曲の二番めの曲。これは彼の最晩年の傑作。「どうしてこれほどの美しく悲しい名曲が一般に聴かれないのだろうか」と。
