坪内稔典『俳句いまむかし』を読む

 坪内稔典『俳句いまむかし』(毎日新聞出版)を読む。毎日新聞に連載している「季語刻々」から編集したもの。季語刻々は一つの季語について、今と昔の句を挙げ、坪内の感想をなにか書くというスタイルで続いてきた。

 

  佐保姫の春立ちながら尿(しと)をして   山崎宗鑑

 季語「佐保姫」は春の女神。その女神が春になって立ったまま小便をしている、という句。おおらかで明るい春の光景だ。

 この句、室町時代の俳句を集めた『新撰犬筑波集』に出ている。「霞の衣すそはぬれけり」という前句に対して宗鑑が付けたのがこの句だ。当時、女性の立ち小便はごく普通のことだったらしい。

 

 いや大正生まれの母も畑では立ち小便をしていた。てか、村の農婦たちは皆そうだった。

 

  ジューンドロップコロコロ良く笑う    佐々木麻里

 果樹がなり過ぎた実を落とす生理落果、それがジューンドロップ(6月の落果)だが、梅雨の前後、ことに柿のそれが目立つ。それで私は柿のジューンドロップを新季語として提案している。

 

  「ジューンドロップ」なんていう日本語がある外来語を簡単に新季語になど提案しないでほしい。

 

  どこか曲がって今朝の胡瓜とおとうさん    野本明子

 キュウリと同じに曲がった夫。少しすねた夫を「おとうさん」と平仮名書きにしたのは妻のやさしさ? 

 

 この句から連想した言葉が「紫雁高疣魔羅」だった。この紫からさらに連想したのが矢島渚男の句「わが魔羅も美男葛も黒ずみし」だった。

 

  縁側に坐せば山あり盆帰省    牛田修嗣

 ……盆と正月には多くの人が生家や故郷へ帰る。どうしてか。四季になる以前、この列島には二季で暮らす時代があった。正月から盆までの野の季節、そして、盆から正月までの山の季節。四季の時代になっても、基層には二季が生き続け、今に至っているのではないだろうか。

 

 古代史学者の古田武彦は、古代は2倍年歴で、現在の1年を2年と数えたという説を出していた。だから古代の天皇が150歳もの長命だったと言う。

 

  オムレツは天使の枕星月夜    今井聖

 季語「星月夜」は月がなくて星の光が月夜のように明るい夜。子どものころ、その星月夜にはたとえば影踏みをして遊んだ。

 

 私の田舎でも星月夜で影を見た記憶はない。見えたのだろうか。東京の墨田区では北極星も見えない。北極星は2等星だというのに。

 さて、坪内稔典はところどころに自作の句を引用している。それらが皆つまらない。区の解釈も凡庸で面白くない。あまり評価できない俳人だ。