小林恭二『俳句という遊び』(岩波新書)を読む。24年前に出版され、私も当時面白く読んだ記憶があるが、今回再読して改めて面白さを再確認した。副題が「句会の空間」とあり、当時一流の俳人8人を甲府に集めて句会を催したその記録だ。参加した俳人は、飯田龍太、三橋敏雄、安井浩司、高橋睦郎、坪内稔典、小澤實、田中裕明、岸本尚毅の面々。著者である小林が司会進行をしている。
続編の『俳句という愉しみ』(岩波新書)の「はじめに」によると、読者の反響があまりに大きかった、この本に触発されて句会を始めたという人が多かったとある。
さて、その句会であるが、1日目は飯田龍太宅で題詠を行った。各人が1つずつ題を出しそれを読み込んで俳句を作る。できた俳句を名前を隠して皆で採点する。採点は同一の題詠のなかで一番良いと思ったものを正選としてプラス1点、一番劣ると思ったものを逆選としてマイナス1点としている。皆で投票して合計点数を出している。点数の上位のものから紹介し、小林が講評を加えている。
新宿に中華まんじゅう買ふ日永
見ての通り。
なんというか異常に素直な句である。こういう句は策を弄していない分、芯に当たれば意外な飛距離がでる。ただし、それは句にキズがない場合に限る。
この句の場合、シメの「日永」がどう見てもユルい。とってつけたようである。
あと、中華まんじゅうの季節は冬であるのに、これに「日永」とかぶせて季節を先送りしたのはやはりちぐはぐ。
ま、マイナス2点で終わって御の字といった類の句であろう。
作者は田中裕明。
びっくりするくらい厳しい評だ。
2日目は太宰治が「富士には月見草がよく似合う」と書いた峠茶屋へ行き、皆で10句ずつ詠んだ。それを無記名で並べて各人が8句ずつ選ぶ。それを今度は皆で講評する。
天にゑくぼ桃の花どき過ぎにけり
三橋、安井、坪内と選んだ。
「ゑくぼ」とは笑くぼのこと。
上五の「天にゑくぼ」は実に美しい措辞だが、具体的にこれこれこういう風景とは限定しにくい。春の空にそのまま巨大なエクボがうかぶダリの絵のような光景をそのまま脳裏に思い描くか、春のうきうきした気分の表現としてフィーリングで捉えるかのふたつにひとつだが、わたしとしてはシュールレアリスティックな光景は隠し味にして、表だっては明るい春の空の気分を楽しみたい気がする。
中七下五の「桃の花どき過ぎにけり」はまさにそのままで、「桃の花のシーズンが終わりました」。
小林「じゃあ、三橋さんお願いします」
三橋「こういう感じを妙に受容できたんです。その理由はと言われるとちょっと困るんだが。桃の花どきが過ぎたのと、天が笑ってるまではいかないがふっとエクボを作ってる感じが、なごやかにマッチしてよろしいじゃないかと思ったんだな。ま、「天にゑくぼ」は比喩でねえ、「天にゑくぼ」とは何事だと叱られたらどうしようもないけど(笑い)」
(中略)
三橋「「天にゑくぼ」には、我々を迎えてくれる感じがあるね。実感だな」
小林「ではそろそろ反対意見に移りましょう。飯田さん、冷水をかけていただけますか」
飯田「……そうねえ、どこで感心しろっていうのかねえ、感心のしようがないねえ(爆笑)」
高橋「通りすぎましたね。説明を聞いていると面白いかなと思いますけどね」
小林「安井さん、とられてますが」
安井「僕も迷ったんですけどねえ。ただ内容的に詮索する句ではないですね。軽く味わっていいんじゃないかな」
岸本「好感は持てますが……言葉が勝ってるかな?」
小林「どなたでしょう」
小澤「實(みのる)」
こんな感じである。とにかく楽しくまた俳句をどう読むのかの勉強にもなる。俳句に興味があったら絶対のお勧めだ。そして先日読んだ芥川竜之介の俳句が面白くなかったという印象が、この本で裏付けられたように思う。
この本1冊で日本の俳句人口がひろがったことだろう。
- 作者: 小林恭二
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1991/04/19
- メディア: 新書
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