矢島渚男『句集 翼の上に』を読む

 高校の1年先輩で、当時詩を書いて北川透の主宰していた詩誌『あんかるわ』に参加していた井原修さんから、最近出版したエッセイ集『藤吾堂日記』『続 藤吾堂日記』(南信州新聞社出版局)が送られてきた。後者に「俳句ざんまい」という章があり、そこに彼が師事した先生の名前があった。

 病から私の俳句人生が終わるかと思われた時、飯田高校の私の担任教師であった矢島薫先生が著名な俳人になっていることを知った。彼は矢島渚男と号し加舎白雄の研究などで名を成していた。彼のもとでもう一度俳句をやってみようという気になった。早速俳誌『梟』の会員となった。

 矢島薫先生には私も高校2年のとき日本史を教わった。仇名が「アナグマ」で怒ると3階の教室の窓から椅子を投げ落としたとか、奥さんに何度も逃げられて今は5人目の奥さんだとか噂があった。何となくむさくるしい印象で、かなりの年配だと思っていた。あるとき私と廊下ですれ違った際私に詰め寄って、こいつは変な奴なんだよなあと言われた。私は高校時代、終始目立たないように生活していたつもりだった。卒業して25年目に初めて一緒に飲んだ同級生だった女性から、悪いけどあなたの記憶全然ないよ、本当に同級生だったの? と訊かれた。そんなに地味に暮らしていたのに、何をもって変な奴だなんて思われたのだろう? もう52年も昔なのにそのことが記憶に残っていた。
 年配だと思っていたが、1935年生まれで私よりたった13歳年上だったと今回知った。すると当時先生は30歳だったのだ! 若者だったじゃないですか。その年では5回も結婚することは不可能だし、高校生の噂なんていい加減なものだ。
 俳句をやっている義父に報告すると、良い句を作る偉い先生だと言われた。Wikipedia で見ると、今年俳句界で最も権威のある蛇笏賞を受賞している。本当に偉い先生だった。すみません、阿保な生徒でした。
 そこで、矢島渚男『句集 翼の上に』(角川書店)を読んでみた。題名は青年時代に愛読した詩人の一行から取ったとある。エリュアールなんかを愛読していたのか。句中にもシューベルトの名前や熊楠の名前があり、私が言うのもおかしいが教養のある先生なのだ。その句をいくつか、

 女 埋 め し ご と く に 代 田 均 し を り


 崩 落 の 牡 丹 の 蕊 に 紅 残 す


 熊 蝉 や 熊 野 は 山 の 噛 み あ へ る


 秋 の 濤 お の が つ く り し 岬 撫 で


 ま ん さ く を 急 ぎ の 風 の と ほ り け り


 犬 ふ ぐ り ど ん な 小 さ な 虫 を 待 つ


 花 む ぐ り 牡 丹 の 蕊 に 失 神 す


 涼 し さ や 川 の 魚 を 岸 に 焼 き


 善 光 寺 ま で 道 伸 び て 冬 の 草

 石田波郷に師事し、波郷没後加藤楸邨に師事とある。先生恐れ入りました。


翼の上に (今日の俳句叢書)

翼の上に (今日の俳句叢書)