今年の読み初めは『シリーズ自句自解I ベスト100 矢島渚男』(ふらんす堂)だった。1958年著者23歳の句「ががんぼの一肢かんがへ壁叩く」から『百済野』の71歳までの句より100句を選び、自分で解説を加えている。
冒頭2句めを引く。
子 を 走 ら す 運 動 会 の 線 の 上
運動会の後、親の前で白線の上を走る子供。わが子を詠ったものだが、句の中では限定されないだろう。このとき、長男は4歳の幼稚園児だった。勤務先の飯田高校のグランドにて。
父 が ま ず 走 つ て み た り 風 車
数年後、こんな句も作った。娘に春祭りで買ってやった風車。
(『采薇』 1965年)
1965年の飯田高校といえば、まさに私が矢島先生の日本史の授業を受けていた年。運動会の終わったあと、先生は長男をグランドに走らせていたのか。しかし運動会そのものの記憶は全くない。
以前も書いたが、この年廊下ですれ違った折り、先生は私に詰め寄って、こいつは変な奴なんだよなあと言った。目立たぬよう生活していた高校3年間、何が先生の目についてしまったのだろう。
川 千 鳥 雪 の し ぐ れ を 梭 の ごと し
近くを流れる千曲川支流の依田川は美ヶ原などに源を発する。夕方その堤防を運動のために歩くのが好きだ。鴨や鷺、ときには翡翠など、1年を通じさまざまな鳥たちを観察できる。
降りしきる雪の中。縦に降る雪の中を横に水面に沿って飛ぶ小千鳥を機織りの梭(ひ)のようだと表現した。
(『天衣』 1985年)
祖父が戦前小さな家内工業の織工場(紡績)をしていて、それは祖父の弟に譲られ、私が物心ついた時は家の一角に工場(こうば)と呼ばれた大きな物置があったに過ぎないが、梭がいくつも転がっていて、自動車に見立てて遊んだことを思いだした。
骨 壺 を 抱 き し こ と 二 度 露 の 山
父を1956年、母を1973年に亡くした。父は満59歳、母は73歳だった。
末っ子の長男だった私は喪主として遺骨を抱いた。焼場は裏山の中腹にあった。父のときはここから家まで骨壺を抱いて帰った。そんなことが思い出される。
この焼場で「水で書かれた物語」という映画のロケが行われたこともある。葬列の部分だった。アルプスの見える風景である。
(『梟』 1987年)
『水で書かれた物語』は1965年公開の石坂洋二郎原作、吉田喜重監督作品。岡田茉莉子主演だった。脚本に 詩人の高良留美子が加わっていた。一昨年の京橋の画廊で奇しくも高良留美子の娘さんに出会った。版画家とのことだった。
遠 く ま で 行 く 秋 風 と 少 し 行 く
諏訪湖を見下ろす杖突峠の見晴台で、口をついて出たままを記した。遠方から来た友人を案内しての別れ際だった。
すべてのものは過ぎ去る。自分も、そして人類さえも。永遠のなかのしばらくの時間を生きる個、もしくは人類。そんな思いをもって生きている。
(『船のやうに』 1992年)
私もいくつもの別れを経験してきた。1人の師と大切な7人の友人がいたが、もう5人が亡くなってしまった。
大 鮟 鱇 触 つ て み れ ば 女 体 か な
近くに教え子の魚屋がある。気骨ある目利きの男。お陰で山国に居ながら、よき海の幸に与る。そこでの体験。それはぬるっとして女性の女性たるべき優しい感触であった。この句を得て鮟鱇といえば纏わりついていた楸邨の「鮟鱇の骨まで凍ててぶち切らる」の呪縛から自由になれた。
鮟 鱇 の 面 皮 剥 が れ し 眼 か な
とも作った。吊るされて虚空を睨んでいる小さな目。
(『船のやうに』 1993年)
この「面皮」は「めんぴ」と読む。
咲 き 終 へ て 桜 は 山 の 木 に 還 る
村里の桜が終ると、若葉の山に白く紅く桜が咲き出す。里の大樹などもむろんいいが、名もない数多くの桜に彩られた景観は、里山の一年でもっとも美しい贈り物。
数日が過ぎると、花は消え仲間と同じ若葉の色になって、もう桜はどれだったのか、わからなくなる。やがて伐採の年が来れば、仲間の木と一緒に伐られてしまう。
(『翼の上に』 1998年)
何冊か読んだ渚男の句集ではこの『翼の上に』が好きだ。
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