井原修『句集 天衣一年生』(裏町文庫)を読む。井原は私の高校の先輩で、現在長野県飯田市で裏町文庫藤吾堂という古書店を経営している。若いころは北川透主宰の詩誌『あんかるわ』の同人で詩集を出したりしていた。のちに高校の担任だった俳人矢島渚男に師事して『梟』に参加してもいた。矢島は一昨年蛇笏賞を受賞している。
本書の「おわりに」に題名の由来やらが書かれている。
昨年の4月頃でしたか、埼玉の新保哲夫様の御紹介で岐阜の『天衣』主宰、岬雪夫先生を知ることとなりました。
私は18歳より50余年、心情をしるす俳句を目ざしておりましたが、ここら辺で写生句を書いてみようと思いました。
『天衣』の標榜する“自然にやさしく、人間にあたたかく、心眼・詩眼・句眼を磨き、俳句の喜びを、人生の喜びへ。”が古希を越えた今、なんとも共鳴するものがあります。
まだまだ一年生、残りは勉強一筋と思っております。
その句をいくつか紹介してみる。
城下町くまなくめぐる春の水
鳥帰り湖面平らになりにけり
段丘の上に桜の城下町
桜鱒信濃の奥の果てにまで
里山を一廻りして金魚売り
逝く夏やちゆうぶらりんの雲が湧き
祈りのごと生まるる蝉のすきとおり
蓑虫やぶらり余生は捨て難き
満月や地酒屋の土間広きこと
冬の虫わが手のひらを出でずして
母も子も捨てられし猫神無月
井原の住む飯田市は元信濃飯田藩2万石の城下町だった。段丘の小高い地に街はあり、戦後の飯田市の大火で過半が焼けたものの、市内の古い寺には樹齢300年を越える桜の古木が残っている。
画家の菱田春草は飯田市生まれ、詩人の日夏耿之介も飯田市に生まれ、最後も飯田市で没している。日夏は飯田市の名誉市民第1号でもある。