『証言・昭和の俳句 下』(角川選書)を読む。黒田杏子が聞き手となって、著名な俳人たちにインタビューしてまとめたもの。この下巻では7人の俳人が語っている。津田清子、古沢大穂、沢木欣一、佐藤鬼房、中村苑子、深見けん二、三橋敏雄。
話が面白かったのが中村苑子、最初に結婚した夫が戦死し、その後俳人高柳重信と同棲していたようだ。女学校を出て小説家になりたいと思ったが母親に反対されて家出をする。下宿を借りて小説を書き読売新聞の懸賞小説に応募したら1等に当選した。匿名だったけど、家族にばれて叔父が迎えに来た。
深見けん二は、師事した高浜虚子のことばかり述べている。
一番面白かったのは三橋敏雄。敏雄は白泉、三鬼の句に魅せられて新興俳句を作る。しかし京大俳句事件で三鬼らが特高に検挙され、新興俳句運動が下火になる。敏雄らは古典俳句を学び直す。敏雄が語る。
やっぱり新興俳句の実作を眺めると、どこか幼いんだなあ。純粋な面もあるけれど、大人が読むに堪えないんだ。いまの俳句だってそうだけれど、ちょっとしたセンスがあって、やると、それはそれでまとまるんです。だけど、その作者が60になり70になって、しみじみ見直して思うとなると、読むに堪えなくなる。そういう具合に見えてくるようになる境目がおもしろいと思う。
言い換えると、そういう若いキザなチャラチャラした句が最初になければだめですね。そして、どのあたりからか、体験して初めて大人が読むに堪える句に到達する。それには先に思いきり軽薄な句を作っておいたほうがいい。突然、最高の句なんかできない。いちばん軽薄なところから始めて、途中でそれをはずかしいと思うようになって、ちがう道を求める。そのうち何となく、ああ、こういうかたちでは俳句はおもしろくないとわかってくる。その繰り返し、最終的には大人が読むに堪えるか堪えないかですよ。
戦争について敏雄は言っている。「戦争は憎むべきもの、反対するべきものに決まってますけれど、〈あやまちはくりかへします秋の暮〉じゃないけれど、何年かたって被害をこうむった過去の体験者がいなくなれば、また始まりますね」。(あやまちの句は敏雄の作)
三橋敏雄自選50句より、
いつせいに柱の燃ゆる都かな
鉄を食ふ鉄バクテリア鉄の中
渡り鳥目二つ飛んでおびただし
老い皺を撫づれば浪かわれは海
山山の傷は縦傷夏来る