亀戸石井神社再訪


 東京亀戸の亀戸石井神社を10年ぶりに再訪した。この石井神社は小さな神社だが、実は東京でも最も古い神社に属する。もともとは石棒を祀っていたが、早くに石棒は失われて今はもうない。

 地元では、おしゃもじ稲荷と呼び、咳を直す神として知られている。昔神社に置かれていた神社縁起には次のようにあった。

 

当社は祭神、級長彦命(シナツヒコノミコト)、凡象女命(ミツハノメノミコト)、津長井命(ツナガイノミコト)をまつり、9月28日を例祭としている。俗に「おしゃもじ稲荷」とよび、咳の病をなおす神として信仰され、神社からおしゃもじ(飯杓子)1本をかりてきて、自宅でこれを神体として拝み、病が治ればお礼に新しい飯杓子1本を添えて、もとの飯杓子とともに2本を神社に返す。当社は石器時代の石棒を神体としたが、いまでも石棒を神体とする神祠は各所に存在する。例えば

  練馬区石神井四丁目   石神井神社

  葛飾区立石八丁目44   熊野神社

  豊島区西巣鴨四丁目8  正法院の石神

  板橋区仲宿28      文殊院の石神

などがある。

 鳥居竜蔵博士は、亀戸に石棒をまつる神社のあったことは、他の例からみて亀戸が石器時代から存在していたと述べている。

 

 その鳥居竜藏博士の著書から、

 

元禄の頃出版した「江戸鹿子」を見ると、亀戸に石神社(いまの石井神社)と云うのがあって、同書は高台にある石棒を祭ってある同神社と共に記して居ります。(中略)亀戸の石棒に対して面白いのは、吾妻の森から北の方、中川に接した立石村に熊野神社があって、此処に石棒を祭っていることです。私は此の立石の石棒も亀戸の石棒と共に、すでに其の時代から其処にあったものと思われます。(鳥居竜蔵書「武蔵野及其周囲」)。

 

 さらに神社縁起は、

 

 飯杓子を奉納する神社は、石棒を神体とすることが普通であるが、これは石棒を祭る神社を石神(しゃくじん)とよび、「しゃくじん」が「しゃくし」となり、飯杓子を奉納することになった。また石神を「せきしん」とよぶこともあって、「せき」が咳の病と同音であるから咳の神にもなった。

 当社は、昭和20年の戦災で、社殿を焼失し、いまは小祠となっている。当社の飯杓子奉納のことは、文政三年(1820)刊行の、大石千引著「野万舎随筆」に、

「咳神(せきがみ)、葛飾の亀戸村に、オシャモジという神の祠有り、神前に杓子を夥しくつめり、依って其故よしを土人に問けるに、咳病を煩う人、此神に願たてぬれば、さはやぐ事すみやかなり。此故に報賽に杓子を奉納するといへり。」

と述べ、その由来の古いことがわかる。

 

 このように紹介されている。

 石井神社=石神=しゃくじんなら、石神井つまりミシャグジ信仰ではないか。それならやはり縄文時代にさかのぼる神社だろう。ミシャグジ信仰については、Wikipediaに詳しく書かれているが、諏訪大社の信仰と関係が深いだろう。祭神が石というのも金属器以前の文化、縄文期の信仰だろう。

 近くには、これも古い吾嬬神社があるし。

 亀戸石井神社の住所は、東京都江東区亀戸4-37-13。JR総武線亀戸駅から北へ徒歩10分ほど。住宅地の中にあってちょっと分かりづらい。太平洋戦争の空襲で焼け、昭和40年に再建されたと石碑に書かれている。再建されたが、とても小さいのだ。