『信濃が語る古代氏族と天皇』を読む

 関裕二『信濃が語る古代氏族と天皇』(祥伝社新書)を読む。副題が「善光寺諏訪大社の謎」。善光寺諏訪大社の謎を中心に信濃(長野県)の古代史に迫っていく。とくに諏訪大社を巡る謎がおもしろかった。
 諏訪大社には独特な信仰が残っている。縄文的な信仰と言われており、御柱の行事は観光の目玉にもなっている。御頭祭では鹿の頭75個を神前に供えていたというし、今でも行われている蛙狩神事では、元旦に冬眠している蛙を矢で射抜いて神前に捧げている。さらに近年まで、御頭祭に選ばれた神使の15歳の童男は祭のあとで殺されて神への生贄とされていたという。
 諏訪地方独特の御左口神、ミシャグチは石の神であり、石神井とも呼ばれ、遠く関東にまでその信仰が及んでいる。私もこのブログで江東区石井神社がその末社であることを紹介したことがある。
 また『古事記』の国譲り神話で、天照大神に遣わされた建御雷神(タケミカヅチ)が出雲の大国主神オオクニヌシ)に国譲りを迫った折り、大国主神は子供に聞いてくれと言う。子のコトシロヌシ事代主神)は了解して海に入っていった(つまり自殺した)。弟の建御名方神タケミナカタ)は争って敗れ、信濃の諏訪まで逃げて行った。しかし諏訪まで追い詰められて降参し、諏訪から出ないことを誓い国譲りに従った。なぜ出雲から諏訪まで逃げたのか。私もこのブログでそのことを考察したことがある。即ち諏訪は当時すでに出雲の影響圏だったのだろう。
 しかし本書の後半で古代天皇家の歴史が語られる部分は荒唐無稽と言わざるを得ない。数多くの気ままに古代史を語る「古代史家」の弊害を免れていない。勝手に思い付きで独自の古代史観を主張して、ほとんど裏付けがない。「古田武彦と古代史を研究する会」会員としては到底肯うことができない。
 しかし諏訪大社に関する謎はまだ完全に解けたわけではない。これからも多くの人がその謎に挑戦してほしいと思う。


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