溝口睦子『アマテラスの誕生』を読む

 溝口睦子『アマテラスの誕生』(岩波新書)を読む。副題が「古代王権の源流を探る」というもので、とても収穫の多い読書だった。

 本書の惹句から、

 

戦前の日本で、有史以来の「国家神」「皇祖神」として報じられた女神「アマテラス」。しかしヤマト王権の時代に国家神とされたのは、実は今やほとんど知る人のない太陽神「タカミムスヒ」だった。この交代劇はなぜ起こったのか、また、古代天皇制に意味するものは何か。広く北方ユーラシアとの関係を視野に、古代史の謎に迫る。

 

 溝口は、ヤマト王権時代には、アマテラスよりもタカミムスヒ、アマテラスよりオオクニヌシが重要だったという。

 

(……)従来政治学者や思想家が、日本の古代王権について論じようとするとき、つねに取り上げてきたのはアマテラスであり、もっぱらアマテラスの分析をとおして彼らは天皇制を考察してきた。しかし、ヤマト王権時代の王権思想を論じるには、タカミムスヒを取り上げるべきだし、4世紀以前の、日本の初期王権の思想や文花を探ろうとするなら、アマテラスではなく、オオクニヌシをみなければならない。

 

 溝口は直木孝次郎の伊勢神宮論を引く。

 

 ヤマト王権下のアマテラスを概観するには、最初にやはり直木孝次郎氏の伊勢神宮論(『日本古代の氏族と天皇』)をみておくのが、いちばんわかりやすい。

 アマテラスを祭る伊勢神宮は、古くから皇室の先祖神を祭る神社だったと長い間固く信じられてきた。しかしそれについてはすでに戦前、津田左右吉によっても疑問が提出されていた(『日本古典の研究 上』)。さらに第2章でふれたように戦後直木孝次郎氏の伊勢神宮論によって、7世紀までの伊勢神宮は地方神を祭る神社だったという説が、一つの学説として確立し、現在通説になっている。ということは、つまり伊勢神宮の祭神であるアマテラスは、7世紀までは皇祖神ではなかったということである。

 

 さらに、

 

 タカミムスヒが古くは皇祖神であり、天の至高神でもあったことは、『日本書記』の天孫降臨神話一つを取り上げてもあきらかで、その他にも第2章でみたように、そのことを示す多くの証拠があって動かせない事実である。一方アマテラスが7世紀末頃まで地方神であったことも、これについてはすでに直木説以来多くの賛同者があり、前章でみたように、それを裏付けるいくつかの伝承もある。したがってタカミムスヒからアマテラスへという皇祖神=国家神の転換劇が、7世紀末の宮廷で起きたことは、もはや疑えない事実であるといってよい。

 

 朝廷で行われる重要な祭祀の際は、タカミムスヒなどムスヒの神をはじめとする宮中神が最初で、次に機内の国々になり、その後で伊勢の国に入ってはじめて伊勢神宮への奉幣となっていた。アマテラスが名実ともに皇祖神になったのは、明治に入ってからだといえるかもしれない、と溝口は言っている。

 タカミムスヒからアマテラスへの交代劇について溝口の証明はとても説得力がある。詳しくは本書を読んでみてほしい。