古部族研究会 編『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』を読む

 古部族研究会 編『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』(人間社文庫)を読む。ミシャグジ信仰について書かれた本が出たなんて嬉しい。古代諏訪の信仰については中沢新一藤森照信も書いていたし、今井野菊の本を読んだこともあった。古代諏訪に石神信仰があり、それをミシャクジとかミジャクジとかシャクジイとか呼んで、東京の石神井もその勢力圏だったと聞いたことがある。江東区亀戸駅近くには石井神社というのがあるが、これもシャクジイの一種で(だから訛っておしゃもじ神社とか呼ぶ)、葛飾区にある立石の地名も石神信仰らしい。その大もとが古代諏訪のミシャクジ信仰らしいから、マイナーっぽいながらも私には大当たりの本なのだ。
 古部族研究会というのは、野本三吉、北村皆雄、田中基の3氏が作っている。本書ではさらに諏訪出身の考古学者宮坂光昭と、もう亡くなってしまったが今井野菊が執筆している。今井野菊は茅野市の寒天屋の女将さんだったが、ミシャクジ信仰を研究して長野県、山梨県はもとより、関東から関西まで2,300か所を実地に歩いて調査している。古部族研究会の3人も今井野菊の指導を受けて研究したのだった。
 諏訪は古代に出雲に征服されている。天照大神に出雲の大国主命が国譲りを迫られて譲ったが、息子の建御名方(タケミナカタ)のみがそれを拒んで諏訪まで逃げ、諏訪で降参している。しかし諏訪から出ないことを約して許され諏訪を治めることになった。それまで諏訪を治めていたのは守屋(洩矢)という土着神だったが、争って出雲族の建御名方が守屋に勝つ。建御名方は諏訪大祝として君臨し、守屋は「神長官」としてそれに仕えた。その構図は現在まで続いている。
 守屋はミシャグジ信仰を伝えて、それが近年まで続いていたらしい。特に春の祭りでは7,8歳〜10歳くらいの童子がオコウ様に選ばれ、潔斎したのち祭りのクライマックスで殺されたようだ。その神事はおそらく江戸時代までは続いていたらしい。田中基は、初めは大祝が殺されていたが、それが童子に変わり、その童子も村落の子だったのが乞食の子に代えられたと書いている。
 何分あまりにも古い歴史なので実証的に書くことは難しいようだ。守屋神長官の末裔も以前は東京江東区の小学校の校長先生をやっていたと聞いたが、結婚しなかったので彼女で代が終わると聞いたような・・・。藤森照信茅野市に建てた神長官守矢資料館はその小学校の同級生だった守屋の末裔の校長先生から頼まれて設計したのだった。
 古部族研究会の3人は学者ではないので、古代史学者が見たら、つまり実証的には問題があるのかもしれない。しかし、今のうちにきちんと研究して記録しておくべきだと思う。古代諏訪からは歴史以前の古代日本が見えるのではないかと思われるのだ。


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古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究 (人間社文庫 日本の古層 2)

古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究 (人間社文庫 日本の古層 2)