『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』を読んで

 島田裕巳『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』(幻冬舎新書)を読む。タイトルが幻冬舎らしいケレン味たっぷりなものだが、著者の島田は真面目な宗教学者だ。神社本庁が行った「全国神社祭祀祭礼綜合調査」の結果、全国の神社を多い順に並べると、1位 八幡信仰、2位 伊勢信仰、3位 天神信仰、4位 稲荷信仰、5位 熊野信仰、6位 諏訪信仰、7位 祇園信仰、8位 白山信仰、9位 日吉信仰、10位 山神信仰だった。この後、春日信仰、三島・大山祗信仰、鹿島信仰、金比羅信仰と続くという。
 いちばん多い八幡信仰にかかわる神社は全国で7,817社だった。これは2番目に多い伊勢信仰の4,425社を抜いて断トツだ。ところが八幡神は『古事記』や『日本書紀』といった日本神話のなかにまったく登場しない。八幡神は外来の韓国の神だった。
 3番目に多い天神信仰菅原道真を祀っている。道真は官僚として3番目の地位の右大臣にまでなっている。そして従二位にまで進んだ直後に太宰権師に左遷されてしまう。左遷から3年目道真は太宰府で病気で亡くなる。その後、皇太子が亡くなり、京では疫病が流行し、さらに天然痘が流行し、次の皇太子が5歳で亡くなる。宮中の清涼殿に雷が落ち大納言など3人が亡くなる。それに衝撃を受けた醍醐天皇が病気で亡くなり、さらに藤原純友平将門の乱が起きる。それらが道真の怨霊の祟りだとされて、太宰府天満宮が創建された。
 島田はそう書きながら、「祇園信仰」の項で別の説も紹介している。

 天神と言えば、今ではもっぱら菅原道真を祀る天満宮のことをさすようになっているが、天神地祇(天地すべての神々)ということばがあるし、天の神や天空神一般をさす名称としての性格ももっている。そもそも神は天にある高天原から降ってくるものとも考えられているわけで、天神は神と同義であるとも言える。そして、その性格から雷神とも習合しやすい。

と言っている。私は「古田武彦と古代史を考える会」の会員なので、古田説を紹介したい。古田は、菅原道真を祀る前に天神社はあっただろう、それは九州王朝の神社で天神を祀っていただろう。それと道真信仰が習合したのだと。
 4番目の稲荷信仰について、島田は書く。

 稲荷と言えば、「正一位稲荷大明神」という額や幟を掲げているのをよく見かける。正一位というのは、朝廷が臣下に対して与えた位階のうち、もっとも位の高いものである。それを神にも応用したのが、「神階」と呼ばれるもので、各地で祀られた神々にそれが授けられた。

 やはり、この件に関して古田武彦は言う。『古事記』や『日本書紀』等々にも稲荷大明神正一位を授与したとの記事は書かれていない。そんな高い位を自分勝手に名乗ることはないだろう。では誰がそれを稲荷大明神に授与したのか。記録を消された九州王朝がそれをしたと考えれば辻褄が合うだろうと。
 出雲信仰の項では、神無月が語られる。

 さらに、旧暦10月は「神無月」と呼ばれ、日本全国の神々が出雲に集まるという俗信も生まれた。出雲の側からすれば、それは「神在月」ということになる。
 神々が集まるのは、縁結びをするためとされ、そこから、出雲大社は縁結びの神として信仰を集めるようになる。

 古田武彦は九州王朝の前は出雲王朝があったと説く。旧暦10月は全国の王たちが支配者たる出雲王朝のもとへ集合した。当時九州王朝の前身だった隠岐の首長は出雲王朝のNo. 2だったので、出雲へは最後に出かけていった。いまでも隠岐には、その言い伝えが残っているという。
 島田は祇園信仰を扱った章の最後で氷川神社について少し触れている。氷川神社については、原武史『出雲という思想』(講談社学術文庫)がおもしろい。一読をお勧めする。
 6番目の諏訪信仰では諏訪大社の古い信仰形態が語られる。狩猟で得た野生動物が神前に捧げられる。これは別のところで聞いた話だが、近年まで祭りのとき子供を犠牲にして捧げたという。
 神社に関する本などほとんど読んだことがなかったので、教えられることが多かった。神社に祀られている祭神の分かりにくさが、神々が時代とともに習合したり合祀したり、それとともに主祭神が摂社に降格されたりしてごちゃごちゃになり、記録もあいまいなためであることが納得できた。また神社に何という神が祀られているのか、ほとんどの人が関心を示さないことも、分かりにくい原因だという。神社の歴史を語るのは難しいようだ。