おこげという植物

 私が育った長野県の飯田地方は昆虫食のセンターでもあるが、「おこげ」という灌木の新芽をお浸しにして食べていた。春芽吹いた時、それを摘んでお浸しにする。ちょっとでも葉が大きくなると硬くなって食べられない。だから食べられるのはほんの短い期間だ。
 この「おこげ」って本当の名前は何だろうと植物学者の浅野貞夫先生に聞いてみた。帰省した折り標本を採集してきたのだ。ヤマウコギだという。別名ウコギ。それが訛ってオコゲになったのだろう。
 これを食べる習慣のある地域が少ないのではないか。長野県、福島県山形県というのも聞いた。東京のスーパーや八百屋に並んでいるのを見たことはない。飯田地方でも専門に栽培している畑がある訳ではなく、普通垣根代わりに家の回りに植えている。枝にトゲがあり、低木ながら垣根になるのだろう。
 食べたいと言ったらお袋が郵送してくれた。お浸しにしてみたがうまくなかった。鮮度が大切なのかもしれない。ちょっと苦くて慣れるとクセになるのだ。
 この「うこぎ」がなまって「おこげ」になったということについて、知人から批判された。音韻学的にそれはないのではないかという。音の変化は音韻学的に決まっているからと。そういわれて、東京亀戸の石井神社の例を思い出した。石井神社の縁起には次のように書かれていた。

当社は祭神、級長彦命(シナツヒコノミコト)、凡象女命(ミツハノメノミコト)、津長井命(ツナガイノミコト)をまつり、9月28日を例祭としている。俗に「おしゃもじ稲荷」とよび、咳の病をなおす神として信仰され、神社からおしゃもじ(飯杓子)1本をかりてきて、自宅でこれを神体として拝み、病が治ればお礼に新しい飯杓子1本を添えて、もとの飯杓子とともに2本を神社に返す。当社は石器時代の石棒を神体としたが、いまでも石棒を神体とする神祠は各所に存在する。例えば
  練馬区石神井四丁目   石神井神社
  葛飾区立石八丁目44   熊野神社
  豊島区西巣鴨四丁目8  正法院の石神
  板橋区仲宿28      文殊院の石神
などがある。
 鳥居竜蔵博士は、亀戸に石棒をまつる神社のあったことは、他の例からみて亀戸が石器時代から存在していたと述べている。

元禄の頃出版した「江戸鹿子」を見ると、亀戸に石神社(いまの石井神社)と云うのがあって、同書は高台にある石棒を祭ってある同神社と共に記して居ります。(中略)亀戸の石棒に対して面白いのは、吾妻の森から北の方、中川に接した立石村に熊野神社があって、此処に石棒を祭っていることです。私は此の立石の石棒も亀戸の石棒と共に、すでに其の時代から其処にあったものと思われます。(鳥居竜蔵書「武蔵野及其周囲」)。

 飯杓子を奉納する神社は、石棒を神体とすることが普通であるが、これは石棒を祭る神社を石神(しゃくじん)とよび、「しゃくじん」が「しゃくし」となり、飯杓子を奉納することになった。また石神を「せきしん」とよぶこともあって、「せき」が咳の病と同音であるから咳の神にもなった。
 当社は、昭和20年の戦災で、社殿を焼失し、いまは小祠となっている。当社の飯杓子奉納のことは、文政三年(1820)刊行の、大石千引著「野万舎随筆」に、

咳神(せきがみ)、葛飾の亀戸村に、オシャモジという神の祠有り、神前に杓子を夥しくつめり、依って其故よしを土人に問けるに、咳病を煩う人、此神に願たてぬれば、さはやぐ事すみやかなり。此故に報賽に杓子を奉納するといへり。

と述べ、その由来の古いことがわかる。

 石棒を祀っていた神社を石神社、ついで石井神社と呼び、石神(しゃくじん)から「しゃくし」になり、おしゃもじ稲荷と呼ばれていた。石神からせきしんと読み、咳の神様→風邪の神様となった。音韻とは別に見慣れぬ言葉に接した昔の人は、見知った似た音の言葉に代えている例だと思う。