原和の命日

 今日は原和の祥月命日だ。3年前の今夜友人が亡くなった。夜9時頃電話をしてきて、54年付き合ってくれたけどさよならと言った。酔っていてろれつが回らなかった。ぐでんぐでんだった。
 原和は20代半ばからから俺は自殺する、青木ヶ原で死ぬなんて言っていた。もうすぐ死ぬと言い続けていた。同じようなことを言ってる友人がもう一人いたが。
 ひと月前にも電話してきて、お前はインターネットをやっているだろう、ネットで探してグリーンベレーのアーミーナイフを買って送れと言ってきた。やはりろれつが回らないくらい酔っていた。何に使うのだと聞くと、俺は殺したいやつが3人いるのだと言った。その1週間後に電話してきて、アーミーナイフは手に入ったかと言う。やはり酔っている。そんなもの手に入らないと答えると罵倒してきた。うるさいと言うと、もうお前とは絶交だと言われた。何度目だろうか。
 そして3年前の電話だった。いいかげんな相手をして電話を切った。娘が心配して、原さん死んじゃうよ、私電話していい? と言うので、電話してやってと言った。別室で電話していた娘が戻ってきて、酔っていて何を言っているのか分からないと言う。
 まさかと思っていたが、翌日の昼、会社の女性から外出先のケータイに電話がかかってきた。友だちのCさんと言う人から電話があって、原さんが亡くなったそうです。すぐ実家に帰っているカミさんに公衆電話から電話をした。電話をしながら泣いてしまった。すぐ帰るとカミさんが言った。受話器をフックに戻したとき、手が受話器から離れなかった。強く握って硬直していたのだ。
 深夜12時近く、原和の住む飯田市の風越山麓の小さな一軒家から出火して家は全焼した。焼け跡から仰向けの大人の遺体が発見された。家は四囲の壁を除いてすべて焼け落ちていた。
 彼と最後に会ったのは亡くなる17年も前だった。長いこと会わなかった。時々分厚い手紙が届いた。乱暴な字で思想絡みのややこしいことを書いてきた。酔うとしばしば電話をかけてきた。難しい話をし絡んできた。少し話してからいつもカミさんに代わった。カミさんとは長い時間話していた。
 最後に会ったその前年、突然古田武彦の著作を20冊くらい送ってきてひと月の間に全部読んで感想を30枚書いて送れと言ってきた。一応全部読んだ。感想は書かなかったが、おかげで古田武彦のファンになった。それを喜んでくれて、翌年の古田武彦講演会に誘われた。一緒に東京八丁堀の労働福祉会館へ行った。その後すぐ古田武彦の後援会(古田武彦と古代史を研究する会)に入会し、それもとても喜んでくれた。今夜は俺の家に泊まれと言ったのだが、いや帰ると言って飯田市まで帰って行った。それが原和に会った最後になった。
 葬式は僧侶もなにも呼ばないで無宗教の形をとった。戒名も付けなかった。隣近所にも知らせなかった。親戚もごく内輪だけ。知人は碁会所仲間が一人、友人は私とC君だけ呼んだと言っていたが、Cは来なかった。碁会所仲間に原はどんな碁を打ちましたかと聞く。きれいな碁を打ちました、飯田市で1、2番の五段でした。「きれいな碁を打ちました」そうに決まっている。碁は性格が出るのだ。
 静岡大学へ入って当時盛んだった学生運動にのめりこんだ。まもなく内ゲバで大怪我をした。そして小林秀雄を読んで学生運動から離れた。マルクスは個人の問題を解決できないと言っていた。もう授業には出ないで麻雀と碁に明け暮れた。どちらも寮で一番強い。生活品は麻雀で稼いでいる。6年在学して退学になった。
 ちょっとサラリーマンをしてすぐに土方になった。晩年は現場監督もやったが、会社が倒産した。山の現場では骨折もした。パチンコにもはまった。酒を浴びるように飲んだ。ひどいアル中になった。食物を受け付けなくなった。胃が縮んじゃったのよ、焼酎だけ飲んで何も食べないの、食べられないのよ。懇意にしていたバーのママが教えてくれた。
 年齢よりずっと老けてみえたという。体はもう限界だった。亡くなったあと複数の女性が異口同音に、やっと死ねたのね、良かったねと言った。
 良かったなあ。やっと死ねて。こんな娑婆におさらばできて。長い間苦しかったよな。
 カミさんが言う。原和はあの世なんか行かないわよ。風越山の頂上に登っていって風と遊んでいるわよ。

飯田市の西には風越山が位置して、東を南北に流れる天竜川に真向かっています。風越山麓の東斜面の高台にひっそりと山荘のような一軒家が建っていました。1月の夜、空を見上げれば中天にひときわ明るい星が輝いています。おおいぬ座シリウスです。シリウスギリシャ語で焼き焦がすもの、光り輝くものを意味します。何年か前の冬の夜、シリウスはこの一軒家を選び突然その輝く光で焼き焦がしました。炎は山荘を包み、山荘は四囲の壁を残して燃え尽きました。その時炎とともにひとつの魂が去ってゆきました。山の稜線に沿って高いところへ、ここではない違う世界へ。星の王子さまは自分の星へ帰るとき、砂漠で毒蛇に体を咬ませます。僕のことを悲しまないで、重たい体は持っていけないのだからと言って。だから何も悲しいことはないのです。いまその魂は風越山の頂きあたりで風と戯れています。ほら、かすかに木立のさやぐ音が聞こえるでしょう。

 原和、原和博君、俺たちの付き合いは16歳からだから54年じゃなくて38年だぜ。