活司の24回目の祥月命日


 今日は久保田活司の24回目の祥月命日だ。この写真は1976年の山本弘展の際、入口の看板の前で撮ったもの。たぶん活司は27歳、横に並んだ少年は長男の厚司君、当時5歳か。もう34年前になるが、この時の会話をおぼろに憶えている。厚司君が、この前どこどこで何を食べたって言ったのに対して、活司がそれは厚司の願望でそんなところに連れて行ってないよと言った。どこにも連れて行ってないんだと。そのことが少し切なくて印象に残っている。
 山本弘さんはこの5年後に亡くなり、その葬儀の折り活司に会った。私が泣いてしまったとき、フナが泣いたら俺だって泣けちゃうじゃないかと言って一緒に泣いた。それからまた5年後に活司が亡くなった。その時も厚司君に会ったはずだが記憶にない。未亡人になったせい子ちゃんのことは憶えているが。活司の葬儀では用意した香典返しがなくなり、急遽追加したことを思い出す。遺族が予想した以上に弔問客が集まったのだった。活司はけっこう好かれていたんじゃないだろうか。
 活司、おまえが亡くなってもう24年も経ったなんてほとんど信じられないくらいだ。おまえの声はこんなにはっきり憶えているのに。フナよう、と呼びかけてくるちょっと高いおまえの声を。


 4年前の命日に書いたもの。
活司命日(2006年10月27日)