田中博文『真田一族外伝』を読んで

 田中博文『真田一族外伝』(産学社)を読む。副題が「伝説の英雄はなぜ誕生したのか」というもの。真田という豪族の出自を滋野一族から解き明かし、のち海野姓を名乗るようになり、海野の娘が嫁して真田幸隆(のちの幸綱)が生まれたという説を紹介している。
 真田幸隆武田信虎と戦い、破れて落ちのびる。のちに幸隆は信虎を追放した武田信玄に臣従する。信玄が上杉謙信と戦ったときも幸隆は信玄について戦った。信玄の配下として戦ってきたが、信玄の病死のあと幸隆も病死する。
 幸隆のあとを三男昌幸が継ぐ。信玄の後を継いだ武田勝頼織田信長に攻められ自害する。昌幸は徳川家康に従う道を選ぶ。しかし家康から所領を変えるよう命令された昌幸はそれに従わず、徳川との間で戦になる。そして2度の戦で徳川方を退却させる。ついで秀吉に接近していく。
 徳川・豊臣の戦で真田は二つに分かれる。昌幸の長男真田信幸(信之)は徳川につき、昌幸と次男真田信繁(幸村)は豊臣方につく。関ヶ原の戦いで徳川が覇権を握り、破れた豊臣方についた昌幸・幸村は罪一等を許され高野山へ流されるが、やがて昌幸が病没する。大阪の陣で幸村が大阪城に招き入れられるが、夏の陣で破れて幸村も首を取られる。
 信之は上田から松代へ移され93歳で没したが、外様でありながら真田藩は明治維新まで続いた。
 真田一族と題しながら、実は幸隆・昌幸・信之と幸村の3代を扱っている。その後のことは、田中博文が以前書いた「シリーズ藩物語」の1冊『松代藩』(現代書館)を読んでほしいと書かれている。
 著者の田中博文は私とは45年以上の友人だ。長野工業高等専門学校に入学し、中退して立命館大学に進んだ。そこを卒業して出版社に勤め、のちに独立して出版社を起こし、また古書店を経営していた。歴史に関する著書を数冊書き、本書が6冊目となった。しかし、発売後半月足らずの6月3日病気のため亡くなってしまった。64歳だった。
 亡くなる半月ほど前、病室を訪ねた友人に「原さん、人間の欲望は限りないものなので、どこかで諦めなければならないね」と言っていたという。田中君、すべてをやり終えて心残りなく亡くなる人はほとんどいないだろう。誰もが何かをやり残したまま人生を終えるのだ。君なんか3人の子供たちは立派に成人し、著書も6冊も残すことができたのだ。それ以上望むのは贅沢というものだ。若い頃親友が自死したり、いろいろ辛いことがあったのは伝え聞いている。でも振り返ってみれば決して悪い人生ではなかったのではないか。どこかで諦めるのではなく、よし、俺の人生これで良かったのだと肯定すればいいと思う。
 もう40年前、仕事で京都へ出張した折り、一乗寺下り松近くの君の住む下宿を訪ねたことがあった。探しあぐねてうろうろしていた時、君と一緒に住んでいた君の親友が私の名前を大声で呼びながら追いかけてきた。下宿に行くと朝からコッペパンしか食べてないとのことで、二人を連れてジャズ喫茶でカレーをご馳走したことを思い出す。その君の親友も翌年死んでしまった。
 一つ年上だったので、どこか先輩風を吹かしていたかもしれない。実際は私の親友が君の先輩だっただけなのだが。50年前は、一緒に下手な詩の同人誌を作ったね。君に、いや、あなたに会えて良かったと思う。


田中博文『松代藩』を読む(2012年9月16日)
「こんなにもある 善光寺のなぞ」(2009年5月6日)


真田一族外伝 伝説の英雄はなぜ誕生したのか (historia)

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