今日は友人Kの25年目の祥月命日だ。半年ほど前にKの眠る飯田市の正永寺へ参ったら、Kの木の墓標が倒れていた。24年たてば木は腐るのだ。いや、立派な石塔にすべきだなんて言うつもりはこれっぽっちもない。立派な墓石は遺族の虚栄心にすぎない。それは死者と…
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