活司の墓

 10月27日は久保田活司の祥月命日だった。その3日前に所用で飯田市へ行ったので活司の墓をたずねた。墓は曹洞宗円悟山正永寺にある。正永寺には樹齢400年という枝垂れ桜がある。枝垂れ桜は葉も黄ばんでいて春の華やかさはどこにもない。活司の葬式はこんな寂しい時期だったのか。桜の印象が全くないのも無理はない。



 花も線香も用意せず何も手向けなかったが、木の墓標の頭を撫でてきた。葬式の日にもこれを撫でたことを思い出した。生前の活司の頭も一度触ったことがあった。いや触ったのではなくて、髪を掴んで引っぱったのだった。もう35年ほど昔、活司ともう一人の友人と3人で飯田線の線路に座り込んだことがあった。電車が来るのにどこまで耐えられるかというバカな遊びだった。単線でスピードも速くない飯田線の電車が見通しの良い向こうから警笛を鳴らしながら近づいてくる。最初に友人が線路から飛び降り、すぐに私も飛び降りた。警笛を鳴らしながら電車が近づいてくる。活司は座り込んだままだ。活司の天然パーマの髪を掴んで線路から引っ張り下ろした。電車は俺たちが座り込んでいた手前で停車した。
 線路の両側は田んぼが広がっていて逃げ場がなかった。俺たちは電車の横をゆっくり後方へ走って逃げた。運転手も車掌も文句を言わなかった記憶があるが、突然停車した電車の乗客たちが窓から大勢顔を出して俺たちのことを見ていた。照れくさかったので乗客たちに手を振りながら走って帰ってきた。
 当時そんなバカなことを何度も繰り返していた。万引やカツアゲや睡眠薬遊びだった。活司、そんなことちっとも楽しくなんかなかったよな。俺たちは何にかつえていたんだろう。何にいらだっていたんだろう。活司の部屋へ泊まった時の早朝、借金取りがドアを叩いて、活司が、フナ、返事をするなと言ったことを忘れることはない。活司の顔も声も鮮やかに憶えている。写真なんか見る必要がない。
「活司命日」(2006年10月27日)

春の正永寺の枝垂れ桜